竹原ピストル
TAKEHARA PISTOL
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2026.06.16
NEWSPECIAL COMMENT 2

竹原さんの声が光になって、私たちの道を照らす瞬間がたくさん、本当にたくさんありました。これからもどうか、私たちの灯台であってください。
西加奈子(作家)
竹原ピストルの言葉が好きだ。言葉と向きあう彼の姿勢に共感する。どんな言葉も区別せず、差別せず、わけへだてなく使う。そして否定じゃなく、肯定するために使う。だから言葉が喜んで、彼の世界観を伝えようと汗をかいてくれる。そもそも喜んでいる言葉は、それ自体が人を励ます。
たとえば「心配」という言葉。普通に使えばマイナスの意味合いを帯びる。でも竹原ピストルは「いつも通り心配だらけなだけじゃないか」と言う。この時「心配」という言葉は胸をはっている。「どっちつかず」は、どっちにもなれるっていうことだし、なんなら「糞」という言葉さえ宝石のように輝いている。豚もナメクジも騒音も雑音も、悪い意味で使うなよ、失礼じゃないかとピストルは叫ぶ。ほんとうにそうだ。
千切り取られる痛みを受けとめながら、だからこそ描ける絵を歌う。そうか、千切り絵は、千切られたものたちの再生の場所なんだと思う。おならもあくびもしゃっくりも、恋を飾る言葉になれる。なんて素敵なことだろう。「どれも俺だ」と同じように、「どれも言葉」なのだ。
「ありがとう」は便利な言葉で、宇宙や神や平和にも使える。どんなに大きなことにも言える「ありがとう」を、一番ささやかな日常の灯に伝える彼は、とても彼らしい。ふだん歌詞の中で美しく使われることに慣れている言葉たちには、じゃっかん厳しめなところもいい。「海」は寄せて返さないし、「月」は野良犬に吠え返す。
釣り日和の空は、たいてい「雲ひとつない空」と言われる。けれど「シワひとつない空」と言われるとき、空は雲の背景ではない。空そのものとなる。空が喜んでいる。
「はなす」という曲は、言葉の可能性と不可能性を歌っている。話すことで二人は近づく。けれど言葉によって、二人が離れてしまうこともある。「話す」と「離す」の掛詞が、波のように交互に打ち寄せる。まことに美しいリリックだ。
言葉を本当に優しく扱う男だが、さりげなく毒を盛ることも忘れない。ぶんまわしたフライパンから飛んだごはんつぶのように、その毒は小さくても粘っこく、気づかれないほどの存在感で存在し続ける。今はSNSで、あたりまえじゃないキラキラしたものやギラギラしたものを、頼んでもないのに見せられたり、あたりまえだと思っていた平和が、なんだかそうでもなくなっていたりする時代。あたりまえが揺らぐ日々にあって、あたりまえを大事に生きたい……ラストの一曲には、あらためてそんなことを思った。
私は言葉の国の人なので、もっぱら歌詞についての感想になってしまったけれど、この人は言葉だけでなく、音にも声にもそして人にも、わけへだてなく先入観なく接しているんじゃないかな。そういうことが、まるっと伝わってくるアルバムでした。
俵万智(歌人)
生きるには、それなりのガッツが必要だ。
ピストルさんの歌を聴いていると、自分の中にあるガッツが、
ピストルさんの歌とハイタッチしに、静かに心臓から手を伸ばしてくる。
鼓舞されているようで、実は自分の鼓動を思い出させてくれる歌。
そして、つくづく暮らしの歌だなぁと思う。
何度も番組に遊びにきていただいているピストルさん。
アスリートさながらの雰囲気に、くしゃっとした笑顔と鋭い眼差しで、
今現在地を語ってくれる。主張と優しさが同意語のような人で、いつも温かい。
自分の人生の主役は自分だということをうっかり忘れそうになったら、
竹原ピストルを聴いたらいい。
生きることにもがき、掻き鳴らす日常、解像度の高い喜怒哀楽の歌。
ニューアルバムも最高!
これからも、声を上げ、掻き鳴らし続けてください。
クリス智子(ラジオパーソナリティ)