2006.12.20
<カイル・イーストウッド プロフィール>
1968年5月19日生まれ、カリフォルニア州カーメルで育つ。子供の頃は、家で宿題をやりながら、デューク・エリントンやカウント・ベイシー、マイルス・デイビスなど、ジャズのスターの音楽を聴き、ジャズ好きの父、俳優兼監督のクリント・イーストウッドに連れられ、モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルや地元のジャズ・クラブに行っていたという。ジャズ好きの両親に育てられた他の多くの子供と同様に、彼の音楽に対する想いは早くから芽生え、いつしか幼いカイルは、多くの観客の前で演奏するミュージシャンに憧れるようになった。
カイルが初めて演奏した記憶は、父・クリントがピアノでブギ・ウギの右手のソロを弾きながら、カイルの左手のベース・ラインを教えたときである。18歳になるころには、ぺブル・ビーチの同級生とジャム・セッションをし、レッド・ツェッペリンやモータウンのベース・ラインを耳でコピーしていた。南カリフォルニア大学にて2年映画の勉強をしたが、音楽こそ自分の進むべき道と悟り退学、それ以来ずっと音楽の道を突き進むことになる。
ティーン・エージャー時代はエレキ・ベースを楽しんだものの、現在はアップライト、アコースティック、ダブル・ベースも演奏。数年仲間とNYやLAで演奏活動を続けたのち、カイルはソニーと契約、1998年にジョニ・ミッチェルをフィーチャーした1stアルバム「フロム・ゼア・トゥ・ヒア」をリリースする。この作品はアップビートなジャズのスタンダードで、彼のオリジナル楽曲も評判となった。
2004年の8月、カイルはジェイミー・カラムやクレア・ティール等を売り出したUKの勢いのあるジャズのインディー・レーベル、カンディット・レコードと契約。カンディットを通してデイヴ・コーズのレーベル、ランデヴー・エンタテインメントを紹介され、アメリカでのリリース契約を結ぶ。
その年、カイルは2枚目のアルバム「パリス・ブルー」をリリース。カイルは彼の家族とともにパリ滞在中にこのアルバムを作成、とてもパーソナルな作品として、彼の父親や、タイトル曲のイントロを実際に作曲し、レコーディングした当時9歳の娘も関わっている。「パリス・ブルー」はスウィングやグルーヴ、ファンクを取り入れた作品で、カイルは「私のルーツはジャズですが、違うテイストを加えることが好きなのです」と語っている。このアルバムはフランスのジャズ・チャートで1位を記録した。
2006年10月には最新アルバム「ナウ」をリリース。ロンドンのアンダーグラウンド・ジャズ・シーンで活躍するミュージシャンをフィーチャーし、ポスト・モダン・ジャズ様式から、ムーディーでエレクトロニックなグルーヴィーな曲まで、ジャンルの壁に捕らわれない意欲作として話題となっている。
オリジナル作品以外にも、カイルはアカデミー賞受賞作品『ミスティック・リバー』(2003)や『ミリオン・ダラー・ベイビー』(2004)の音楽を作曲。カイルは音楽パートナーでもあるマイケル・スティーヴンスと、クリント・イーストウッドの話題作『父親たちの星条旗』と『硫黄島らの手紙』の作曲も手がけたばかりである。『硫黄島の手紙』では全音楽を2人で担当している。
恵まれた環境に育ちながらも、カイルはミュージシャンとしての道を自ら切り開き、多くの経験からなる豊かさと多様性を感じさせるその演奏で人々を魅了している。