PROFILE プロフィール

東洋音楽学校卒業後、昭和27年ビクター入社。ちなみに黒柳徹子は東洋での同級生。

作曲家・吉田正に師事し、昭和28年5月「さすらいの恋唄」でデビュー。同年9月発売の「落葉しぐれ」で一躍スターダムに。昭和30年には「弁天小僧」を、昭和31年には「あゝダムの町」「東京の人」ヒット。昭和32年には川端康成作品をモチーフにした「踊子」がヒット。この「踊子」のヒットから、「街燈」等文学的香りの作品を多数発表し、「文芸歌謡の第一人者」と呼ばれるようになる。紅白歌合戦には昭和30年(第6回)初出場。その後、昭和32年(8回)から38年(14回)まで連続出場。39年の落選時には物議を醸し出した。昭和58年には「笑っていいとも」にレギュラー出演し、好評を得る。平成12年、レコード大賞功労賞受賞。2006年現在も、現役で歌っている。ちなみに芸名はビクター文芸部によるもの。三浦は、三浦半島の生まれであることから。洸一は、この世界で「ピカ一」になれるようにと「光一」の予定だったが、既に青木光一(コロムビア)がいたため、この世界は水物だから、と「洸一」になった。

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