PROFILE プロフィール

独自の奏法で“ソロ楽器としてのウクレレ”を確立した世界一のウクレレ・プレイヤー。
1934年10月21日ホノルル生まれの日系二世。 世界中のファンから“オータサン”の愛称で親しまれている(本名:ハーバート・イチロー・オオタ)。

小さい頃からウクレレ奏法に興味を持ち、ペリー・バトキンSrやエディ・カマエ等、たくさんの先人の演奏を取り入れた上で、オータサン・スタイルと呼ばれる独自のスタイルを構築。特にエディ・カマエには直接師事していろいろなテクニックを学んだが、あまりにも理解が早くすぐに「免許皆伝」になったエピソードは有名である。
朝鮮戦争の終結も近づいた1953年に米海兵隊に徴兵、志願して士官付きの通訳となり、戦争終結後の63年まで日本と韓国の基地で勤務を続けた。この時期にエディ・カマエの紹介で灰田有紀彦(晴彦)と知り合い、その縁で日本ビクターからデビュー・アルバムを発売(CD『ウクレレ・マスターズ~若き日のハーブ・オオタとエディ・カマエ』として復刻)、プロとしての活動をスタートした。
帰国後、ハワイ大学のバーバラ・スミス教授に音楽理論を師事。1964年にレコーディングした灰田勝彦のカヴァー「SUSHI(鈴懸の径)」がヒットし、本格的なプロ・デビューを飾る。
1974年、アンドレ・ポップから贈られた名曲「SONG FOR ANNA」がインターナショナル・ヒットとなり、600万枚を突破。以後、日本にも度々来日し、活躍を続けている。

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