2003.06.2

ドイツより

同志よ、

今は(3月)22日の土曜日、俺はケルンの真新しいRadisson SASホテルのロビーに座っている。ここでは、無線高速インターネット通信が使える。ドイツ人は合理的だ。それは決まり文句だが、決まり文句というのはどこから来ていると思う? おかげで非常に助かっている。ヨーロッパからダイアル・アップ回線を使ってアメリカに何かを送ってみろよ。それは雨の日にペンキが乾くのを待つみたいなものだ。

俺は、どこにいてもインターネットにつなげられる機会をうかがっている。”ハイオク”コーヒーが血管を流れれば、俺は、1週間の遅れを取り戻す作業に入る。

火曜日はベルリンのSO36だった。ここは俺たちが今までやった中でも最悪のライヴをやった場所だったから、君達は想像できるだろうけど、俺達はここに戻ってくることを憂鬱に思っていた。それはニューヨークのCBGBがロイヤル・アルバート・ホールに見えてしまうほど汚い会場だから。「shithole」という言葉は、この場所のためにできたに違いない。そこは身体全体を包むコンドームとガス・マスクがあればと思うような類の場所だ。何にも触れたくない。

数年間でこんなに変わるなんて。

俺たちは、ショーの1時間前にそこに行き、クラブが完全に新しくなっていることを知った。新しいフロア、新しいステージ、新しい楽屋。すべてが新しい。現実にこういう会場(の改装)に金を出す奴がいるなんて本当に珍しいよ。よくやった。

俺は、「Trainspotting」のトイレのシーンのような汚さを予想していたので、それを見てすぐに俺の気分は上々になった。おかげで前にここでやった時よりいいライヴになった。前回の3倍の観客が来たし。ベルリンの客はいつもヨーロッパで一番ノリが悪いはずなのに。どのバンドに聞いてもそう言うはずさ。俺は、いつもみんなにそうだと言って回っている。たぶん、今日の観客は俺が言いふらしてるのを聞いて奮起したんだろう。クリストフ(ドイツのMetal Hammer誌用のツアー・ダイアリーのために同行した記者)でさえ、観客の素晴らしさに驚いていた。全くいつものベルリンの観客のようではなかった。そう、これはいつものアンスラックスのツアーではない。ドイツ公演への幸先いいスタート。次はベルリン!

ああ、良いこともあれば悪いこともある。

ジョンは午前6時にバスで目を覚まし、ゲーゲー吐いた。彼は、すでに鼻風邪にかかり声をおかしくしていたが、食物にもあたったのだ。君が何を考えてるかわかるよ。彼は酒をたくさん飲み、それで調子をおかしくしたんだろうって?いや、彼はこのツアー中、シンガーとして責任ある振る舞いをしていた。ショーの後に食べたもののせいだろう。

彼は、水曜日、ハンブルグで、熱を出し、上からも下からも垂れ流しながら1日中寝込んだ。俺は、ショーをキャンセルしなければならないんじゃないかと本当に心配した。そのくらい彼の調子は悪かった。彼は、Saturnでのサイン会に出られなかったし。彼は、ショーの1時間半前に現われ、とても青白く、弱々しく見えた。彼は、吐き気を押さえられなかったので、何も食べていなかった。彼は、ショーを何とか乗り切って、終わった後に医者に診てもらうと言った。俺は彼がショーをやれるのか確信がなかった。彼は、実際に食べものにあたってパンツを汚す勢いだった。しかし、彼はやってくれた。彼は、いつものように、ベストを尽くし、お金を払ってショーを見に来た観客を損した気分にさせなかった。最初の何曲かを歌い終えた後は、アドレナリンが彼を支配していた。ハンブルクはすごかった。また満員だった。'98年の前のドイツ・ツアーより良かった。

ジョンはショーの後に医者にみてもらい、吐き気止めの薬をもらった。木曜日にはBochumにいた。「The Matrix」。ここは不思議な場所だった。地下トンネルを改装したクラブで、床は鋼鉄、壁はコンクリートとレンガで出来ていた。彼らはわざと音を悪くするためにそうしたんだろうか?

お昼頃楽屋に行き、戦争がスタートしたことを知った。CBSニュースで「サダムとの対決」の見出しが画面に映るのをみた。馬鹿げてる。CNNでは、「イラクに対する攻撃」の派手な見出しがおどっていた。テレビ局は、今、レポートしようとしているすべての重大なニュースを台無しにしてしまう見出しづくりにかなりのお金を使う。それは映画の宣伝ではないんだ。これは現実に起こっていて、実際に人が死んでることなのに、彼らはビデオゲームのタイトルのようなグラフィックスをつけていた。

俺が言えるのは、さっさと終わって、生命の損失がどちらの側でも最小になることを望んでいるということだけだ。

Bochumについてあまり言うべきことはない。ジョンは気分がよくなったが、彼の喉は、吐いた時の胃酸で荒れていた。彼には楽なショーではなかった。会場は満員だったが、音は悪かった。前に俺が、コンクリートのトンネルだと言ったように。

ショーの後に、楽屋で一波乱あった。基本的には、フランクがステージ上の音響、モニター、ラックについて不満をぶちまけたのだ。ツアー17日目まで怒鳴るメンバーが出なかったことに俺は実際驚いた。ツアーがうまくいっている証だ。いつもは、もっと早く誰かが怒鳴りだしたり、険悪になったりする。ライヴが満員だと、表面的なばかばかしいことを隠してくれる。そんなフランクの騒ぎはあっという間に静まった。2〜3杯のビールと念入りなサウンドチェックで解決できない問題ではなかった。ショーの後そのままケルンへ移動して、前述のSASホテルへ午前2時に到着した。ホテルは今日が新規オープンで、大パーティー中。バーはタダで飲み放題だった。

医者がストレスを発散しろと言っただけだ。俺たちのほとんどはバーに向かった(ジョンは寝た)。俺達のホームページのウェブマスター、ブレントはぐてんぐてんになった。椅子から落ち、めったやたらとまわりの人間に向かい叫ぶ。すごくブザマなアメリカ人。また、さらに悪いことに、彼は、暖かくしようとベルリンで買ったバイエルン・ミュンヘン・スカーフをまいていた。彼は、別にそのチームが好きなわけではない。彼は全くサッカー・ファンでもない。ただ単にスカーフとし巻いていたのだ。彼は、そのチームが(ミュンヘン出身者以外には)ドイツで最も嫌われているチームなことを知らなかった 。

おかげでハンブルクの地元のクルーは彼を敵視することに。彼らは「ミュンヘンは、欲しいサッカー・プレーヤーをすべて金で買うことができる。だが、ヤツらはハンブルクを買うことはできない!!」ドイツ訛りの英語で言われるともっと面白い。

ブレントは、結局ロビーの灰皿からトイレに吐きながら向うことになった。彼がバスルームの床で死んでる写真がある。なぜか彼のズボンは下ろされている。来週その写真はアンスラックスのサイトで見られるだろう。

昨日のオフはとても必要だった。最高な1日。俺はケルン中を歩き、太陽を浴びた。昨日の夜は何もしなかった。明日から4日連続でショーだ。なので無駄な力は使いたくない。どうせ来週スペインに行ったら、すごい時間が待ってるし。というわけで今日、土曜日までの出来事を書いた。「戦争」は最高潮に達している。CNNの終わりなき放送を見ながら眠る。

月曜日、イタリア・スイスでの出来事を伝えるよ。

気をつけて

スコット

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