BANDA BASSOTTI




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Intervista
BANDA BASSOTTI オフィシャルインタビュー

「フジロックに出演していかがでしたか?」

ダヴィデ:「初めての日本で、とても大きな会場でたくさんの人の前で出来たことがとても思い出に残っているし、そのお客さんからの反応がとても良かったのはすごく嬉しかったよ。」
ピッキオ:「そういうライヴになるなんてことも考えてもいなかったし、ああやって素晴らしい反応が帰ってきたことは本当に計算外だったけど、しかしとても嬉しかったよ。」
シガロ:「何よりもいろんなジャンルが違うバンドが出ているああいったイベントに参加できたことがとても嬉しかったし、いろんな人たちが集まったイベントがああやって大成功したということはとても興味深いと思う。」
カキ:「フジロックの宣伝するのはこれ位でいいんじゃない!(笑)」


「地元イタリアでのライブはさらにものすごいということを聞きましたが、どのようなライブを行っているんですか?」

ダヴィデ:「MTVというイタリア最大のフェスティヴァルがあって、毎年2〜3万人動員するんだけど、それに呼ばれて出演した。まぁ、そのイベント程は大きくないにしても5,000人位の前でライヴもやるし、日によって全く違うし、そのライブ毎に反応も全く違うんだよ。」
カキ:「イタリア、スペイン、フランスなんかで夏には大きなフェスティヴァルが開かれているんだけど、規模的には5,000人〜30,000人と様々に行われているんだ。でもそういった大きなイベントを支えているのはあくまで、僕ら、そして他のバンドが冬の間に小さな会場、700人〜1,000人規模の会場をサーキットしているからこそ、夏にああやって大きなフェスティヴァルを開くことが出来るんだよ。そのどちらがいいというものではなく、その両方が非常に大切なんだ。」


「イタリアでブラフマンとも共演をしていますが、その時の話を聞かせてください」

ダヴィデ:「ストリート・ビート・フェスティヴァルというツアーを今年の春に行ったんだけど、イタリアからセンザ・シクーラ。それからイギリスからキング・プラウン、そして日本からブラフマンに来てもらったんだ。4ヶ所で合計20,000人を動員したんだけど、来年も行いたいと思っているよ。」
ピッキオ:「ブラフマンのライブは何度も見たことあったんだけど、僕らの地元でそのイベントを開いて彼らに来てもらったことがとても意味のあることだったと思う。」
シガロ:「日本のバンドとツアーは今までに例えば、THE 3 PEACEなんかとツアーをしたことがある。そして、そのツアーでブラフマンのメンバーと一緒に長い時間を過ごしたけど、彼らみたいな人間達とだったらもっと長い時間を過ごしたとしても何の問題もないだろうな。」


「バンドのおいたちについて −音楽バンド以前どんなことをやっていましたか?」

シガロ:「昔はとび職人としてステージの建設を行っていたんだけど、遊びで演奏した一曲がとても評判よかったんだ。「他の曲も聴かせてくれ!」ってね。だからそれがさらに1曲、また1曲と増えていってバンドになっていったんだ。そうやって客を楽しませてきたけど、今はそういった客の反応を楽しんでいたりもするんだよね。」


「バンダ・バソッティとしては具体的には何をやっていましたか?」

ダヴィデ:「音楽をやる前は政治団体、平和団体というか、当時まだ戦争下にあったエルサルバドルの人々を助けるために運動やデモを行ったり、イベントをおこなったりしていた。そしてバスク地方やパレスチナ地方、そういった地方の困っている人々を助ける運動を続けてもいたんだ。もちろん学生運動のサポートをしたりもしていた。そんな運動の中から僕らの活動がバンド活動へと発展していった。しかし形は変わったとしてもそういった困った人々を助けるためという本来の目標は変わることはなかったんだ。その当時からバンダ・バソッティと呼ばれていたね。」


「音楽的バックグラウンドは?」

ダヴィデ:「まずバンドになる前に聴いていた音楽はクラッシュとスペシャルズ。それから影響を受けたバンドはクラッシュとスペシャルズ(笑)。それからしっかりとしたメッセージを持っている音楽には時代に関係なく興味を持っていたね。」
シガロ:「あとはやっぱり一緒にジョイントしたバンド達というのはやはり学ぶことが多かったし、おおきな影響をうけているね。例えば、マノ・ネグラ、ネグ・ゴリアックとか、、、そしてパヴァロッティ、なーんてね(笑)、、、。」
ダヴィデ:「パヴァロッティがまだ痩せてることにバンダ・バソッティに加入したがっていたらしいんだけど、こっちから断ったんだよね(笑)。」
ピッキオ:「当時は痩せすぎてて人気がなかった頃だね。腹減らしてた頃だね(笑)。おっと、ゴメンよ(笑)。


「音楽バンドになってから絶頂期の96年に一度解散してしまいますが、それまでの活動について教えてください。」

ダヴィデ:「昔は自分の本職がしっかりあって、あくまでその仕事をしながら、その合間に曲を作ってライブを行って、アルバムを作って、という生活を行っていた。でも今はもっと音楽に集中できる時間がある。それが大きな違いかもしれないね。」


「今回のアルバム『アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア』のサウンド面で何かコンセプトはありましたか?」

シガロ:「ホーンセクションが入ってからサウンドが大きな変化はあったけど、サウンドに関しては今までと変わっていない。同じことをやっていると言ってもいいと思う。もちろんそのホーンセクション、それからダヴィデが最近曲を書き始めたことなど変化はあるけれど、基本的には変わらず『ストリートの音楽』をやっていると思う。」


「曲は主に誰がどのように書きますか?」

シガロ:「俺だね(と手をあげる)。今作では曲を作る時間が結構少なくて大変だったよ。でも基本的に曲作りがまず最初だね。曲を作ってから歌詞を作るというパターンがほとんどだ。スタジオで慌てて書いた曲も結構あるよ。でもどんな状況でもひとつ必ず守っているのは歌詞で言ってることは偽りのないことにするということだね。」


「歌詞が非常に重要なファクターだと思いますが、どのようなことに関して歌っていますか。」

ピッキオ:「シガロとダヴィデが歌詞を書いているんだけど、「人生の通訳」とでも言うべき歌詞を書いているんだ。生きていることをこうやってそのまま言葉に出来ているということは、やっぱり実力がなければできないことだと思う。」
シガロ:「俺達の歌詞というのは本当に自分達に起こったことしか書いていない。想像して作っているものは一切無いんだ。」


「最近起こっていることで歌詞にしていきたい題材はありますか。」

ダヴィデ:「ちょっとまだ秘密だね(笑)。でも11月にレコーディングを予定しているからその時には何らかの形にはなっているだろうね。」


「これからの予定を教えてください」

カキ:「まず今ヨーロッパのツアーをずっと続けていく。そして11月にはレコーディングだし、またその後ツアーを行っていきたい。そしてストリート・ビート・フェスティヴァルもまた行いたいと思っている。あと簡単に言ってしまえば、とにかく「粘る」。粘って活動を続けていきたいね(笑)。」


「新しいアルバムは来年にも聴けそうですか。」

ダヴィデ:「そうだね。」


「日本のファンにメッセージを」

ダヴィデ:「帰りたくないなぁと思ってる。常にまた日本に来ることを考えているし、少しでも早く戻ってきたいと思ってるよ。」
カキ:「日本ではうまく行くような気がしているし、少しでも早く日本に戻ってきたいと思っているよ。」


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