日本のポップスの先駆者(パイオニア)、没後20年特別企画!
すべての音楽ファンにとっての経典(バイブル)シリーズ最終楽章。

リズム、メロディー、そしてハーモニーが、
美しい言葉とあいまって作り出す宝石のような楽曲たち…
20世紀最高のソングライター服部良一の魅力を
余すところなく記録した大ヒット・シリーズの完結編。

企画協力:服部音楽出版
監修:瀬川昌久、高橋正人

  1. 01

    銀座カンカン娘 / 高峰 秀子、笠置 シヅ子、岸井 明、灰田 勝彦(コーラス)

  2. 02

    ハロー銀座 / 灰田 勝彦

  3. 03

    恋の流れ星 / 山口 淑子

  4. 04

    札幌シャンソン / 竹山 逸郎/服部 富子

  5. 05

    東京カチンカ娘 / 暁 テル子/羽山 和男

  6. 06

    銀座ジャングル / 暁 テル子

  7. 07

    さすらいのブルース / 轟 夕起子

  8. 08

    ブギウギ音頭 / 市丸

  9. 09

    ミシン娘 / 暁 テル子

  10. 10

    ヤンキー・セレネード / 小畑 実

  11. 11

    秘めた恋 / 服部 富子

  12. 12

    ウッカリ・タンゴ / 久慈 あさみ

  13. 13

    うたかたの恋 / 小畑 実

  14. 14

    別れのオランダ船 / 服部 富子

  15. 15

    東京ブルー・ムーン / 小畑 実

  16. 16

    五ツ木ルンバ / 吉岡 妙子

  17. 17

    想いでの湖畔よ / 三浦 洸一

  18. 18

    東京の空恋し / 灰田 勝彦

  19. 19

    目下花嫁修業中 / 中村 メイコ

  20. 20

    メイコの電話 / 中村 メイコ

  21. 21

    夢の中のパーティー / 曽根 史郎

  22. 22

    カン・カン・ムスメ・マーチ / ジョニー・ワトソン・オーケストラ/Johnny Watson & His Orch.

  23. 23

    ダンシング・デキシーランド・スタイル(東京ブギウギ) / 服部良一と彼の楽団/ベティ・アレン(唄)

  24. 24

    アイル・カム・トゥ・ユー(胸の振り子) / 服部良一と彼の楽団/ロバート・ジャレット(唄)

 昭和8年(1933年)8月26日の朝、リュック1つで上京した若き日の服部良一は、頼りにしていた友人のピアニスト菊地博の家がわからず、歌手で既知の渡辺光子の下落合の家にやっとの思いでたどり着いた。ちょうどそこに居合わせたキングのディレクター清水瀧治は、その時の心細そうな、汗にまみれ、いささかやつれた服部青年の将来を案じたという。服部が音楽の世界に足を踏み入れたのは「出雲少年音楽隊」という大阪のうなぎ屋が客寄せのために組織したバンドに加入したときからで、オーボエ、サックスを担当していた。音楽隊が解散した後も、逆境に抗して独学力行、その後、ダンスホールの楽士や大阪フィルハーモニック・オーケストラの一員となった。そこで指揮者エマニエル・メッテルと出会い、ほとんど独学だった音楽理論を叩き込まれたという。やがて関西のマイナーレーベルに楽曲を提供したり、アレンジを手伝うようになった。
 昭和8年、26歳の服部は大志を秘めて上京したが、当初は大阪時代と変わらずダンスホールのサックス奏者としての仕事しかなかった。やがて関西のタイヘイでの仕事の経験から九段下のニットーレコードに所属、おびただしい数の作品を若き日の楠木繁夫、美ち奴などのために残している。また若いミュージシャンに和声を教える響友会を主宰していたことから、アレンジャーとしての名声は昭和10年頃には知れ渡るようになっていた。おりしも一流レコード会社・日本コロムビアでは、そのカタログの激増のためにアレンジャーが不足。日本調から洋ものまで手がけられる器用な人材を求めていた。服部がコロムビアに入社したのは昭和11年(1936年)のことだったが、この年から翌年の5月までが戦前の流行歌発売のピークとなっている。
 翌年の「別れのブルース」のメガヒットから服部の時代ともいうべき最良の作品群が次々と生まれていくのだが、彼の作品の特徴はその時代の洋楽のリズム、オーケストレーションを巧みに取り入れて消化したところにある。またレコード録音にとどまらず、ステージ音楽、映画音楽も手がけていたから、そのスケールの大きさ、広さは誰にも真似のできないものだったろう。戦争中も良質なメロディーを生みつつも、彼の活動は大きく制約を受けてしまう。
 戦争が終わり、昭和20年(1945年)暮れに中国から復員すると、その長い鬱屈からの解放ゆえに、服部の超人的な活躍がはじまる。当時戦災によってすべてを消失したビクターでは録音ができず、スターシンガー灰田勝彦はステージにその活躍の場を置くよりなかったのだが、コロムビアの歌手にはないスマートネスな魅力を感じた服部は、灰田のためにステージ向きの曲を数多く書いた。ステージで生まれた作品を録音したいがため(本人談)に服部はフリーとなり、晴れてビクターにいくつもの傑作を残すことができたわけである。しかも最新の洋楽のセンスを日本の流行歌に取り入れるという彼のアグレッシブな挑戦は、ビクターを離れるまで色褪せることはなかった。その数85曲。リズムとメロディー、そしてハーモニーが美しい言葉とあいまって作り出す宝石のような楽曲は、発売後60年以上のときを経ても魅力を失わずにいる。

<高橋正人>
1962年生まれ。元民放TV局プロデューサーとして、シャンソン、タンゴ、流行歌などの番組イベントの演出を多数手がける。

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