《第3回》 石川智晶VS影山ヒロノブ

毎回ゲストと楽しい話を繰り広げるこのコーナーも三回目。今回はシンガーソングライターであり、JAM Projectのリーダーである影山ヒロノブ氏とガチンコ勝負。2010年3月14日に北九州で開催される「アニうた2010 KITAKYUSHU」でも共演する2人。腰を据えて話すのは初めてだったが、それぞれの音楽歴からアニソン界の現状まで、笑いに包まれた熱いトーク・パトルとなった。



石川「アーティストの方との対談は初めてなんですよ。キャリアのある影山さんに是非お話をいろいろとお聞きしたいと思ってました。じっくりお話するのは初めてですよね。ソロ、JAMなど精力的に活動しているのですごく忙しいと思うんですけど、どうやって時間を使っているんですか」

影山「計画を立てて整理して何かをするタイプじゃないので、一番手前にあるものからとりあえず手をつけてやっていくだけで。だからやらなきゃいけないことだらけになっちゃうと、もうムリムリムリって、パニくったりしますよ(笑)」

石川「今はJAMが中心なんでしょうか。バンドの中で影山さんはどんな存在なんですか」

影山「僕だけ年齢がちょっと離れているので、やっぱりリーダーという言葉がしっくりくるかな。JAMはどの曲をシングルやアルバムに入れるか、メンバーの中でコンペをして決めるんですけど、奥井(雅美)ちゃんや福(福山芳樹)ちゃんは、同時期に自分のソロ活動も忙しくなるので、そうすると必然的に僕がJAMの曲を書くことが多くなる。僕の中で1年を通して一番時間を割いているのは、JAMの曲作りなんですよ」

石川「そうなんですか。楽曲づくりはバンドメンバーにそれぞれ分散されるからわりと楽な方なのかと思っていました」

影山「アニメのタイアップ曲って、アニメ番組のスタートに合わせて作るから、どのアニメソングも制作時期が重なっちゃうでしょ。奥井ちゃんも福ちゃんもそれぞれでアニメのタイアップ曲を作っていたりすると、JAMの曲は「影さん悪いね」ってことで俺に任されちゃったりして(笑)。僕はJAMが動き出すと、自分のソロはほぼ何もしないというスタンスでやっているから」

石川「私は今までリーダーという立場を経験したことがないんですけど、バンドのメンバーをまとめていく術はあるんですか」

影山「うちのバンドは上下関係がないから、先輩に従わなきゃみたいな感じはないんですね。でもバンドって、顔も見たくないみたいな時期を乗り越えて、段々と空気みたいな存在になっていくもんだと思う。去年ワールド・ツアーをやったんだけど、ずっとみんな一緒だから、当然イヤになるわけです(笑)。そうするとそれぞれが「これが終わったらやめる!!」とか言い出して、でも何か一つのことを達成した時に喜びを分かち合える仲間がいるってことを感じると、やっぱりパンドっていいなって気持ちになる。いい時、悪い時を乗り越えて、今は安定していますね」

石川「マネージャー経験のあるスタッフから聞いた話なんですけど、バンドを売ろうと思ったら、デビューのジャケット写真を撮っている時ぐらいから、どうやって解散させるかを考えるって言っていましたね。バンドは突然やめるって話になるから、それぐらいから考えておいてちょうどいいって」

影山「わかる、わかる。僕はデビューがLAZYというバンドだったんだけど、当時は幼かったし、男だけだったからよくもめたしね(笑)。家族でもない人間が一緒に行動するっていうのは、特に若い頃は難しいよね」

石川「私も音楽に入ったきっかけは姉が所属していたバンドに参加したことからなんですよ。女子6人組だったんですけど、冷静なタイプの人が多かったので、互いにけん制して、あまり突っ込んだことは言わないみたいな空気があって(笑)。その中で私だけが「あれをやりたい、これをやりたい」と言っていましたね」

影山「意外だな。石川さんってイベントとかで一緒になった時の印象だと、あんまり話さない大人しい人だと思っていたから。歌の世界みたいに、しっとりとした感じの方なのかなって。イメージがだいぶ違う(笑)」

石川「それはイベントが苦手なだけで(笑)。出演できるのはうれしいんですけど、大勢の中で「私が、私が」と前に出るタイプではないから」

影山「俺もそうなのよ、そう見えないと思うけど(笑)。たまにテレビのバラエティ番組の仕事が来たりするんだけど、お笑いの人たちが命をかけて面白いことを言おうとしている場で、そこに割り込んでいって話をしなくちゃいけないのかと思うと、3日前ぐらいから胃が痛くなるから (笑)」

石川「わかります。だからそういう時は、自分の世界にポツンといた方が楽かなと思っちゃって。大人しく見えたのはそのせいです(笑)。影山さんはキャリアが長いですけれど、デビュー当時は将来像をどんなふうに描いていたんですか」

影山「僕はデビューが早くて高校2年の時なので、今年で歌手生活33年目なんです。最初はロック・バンドでデビューしたいというだけで上京して、プロになってからもずっと続けば楽しいなぐらいにしか考えていなかったんですね。その後LOUDNESSになったメンバーはハード・ロック一本でやりたいと言っていたけれど、でも俺はハード・ロックもいいけれど自分には合わないなと、おぼろげに思っていて。だから解散してソロになっても、自分自身が空っぽだったから、何をしていいかわからなかった。すぐに売れなくなって、5年ぐらいライブばかりやっていましたから。たまたま当時のレコード会社の人がアニメソングを歌わないかって声をかけてくれて。その頃はアニメのことなんてまったく知らなかったけれど、俺を必要としてくれるんだっていうのがすごく嬉しくてね。それがアニメの世界に入ったきっかけですね」

石川「頑固ではなくて、しなやかであったところが影山さんの強みなんですかね。私は昔、こうでありたいとか、思い込みのこだわりが強すぎて、それがゆえに遠回りをした気もするんですね」

影山「思い入れが強いって言うのは、悪く言えば融通が効かないっていうことですよね。それはもしかしたら今の方があるかもしれない。JAMの話に戻るけど、俺だけが「これをやりたい」って言って、みんなが「エーッ」ってこともよくあるから(笑)。僕は昔より今の方が音楽を好きなんですよ。LAZYの時は曲を書いていなかったし、30代の頃は曲を書かせてもらえるんだったら頑張りますっていうかかわり方だったけど、今は他人の曲なんて歌いたくないと思うぐらい自分の中にやりたいことがたくさんある」

石川「そう思うようになったきっかけは何かあるんですか」

影山「JAMと現レコード会社のランティスの存在だと思いますね。それまではシンガーという扱いだったし、自分でもそう思っていたところが大きかったけれど、ランティスの社長の井上くんは僕の中の曲作りとか、アーティスティックな部分に期待してくれたんですね。井上くんは幼なじみだし、彼には絶対の信頼をおいているので、導かれるままに一生懸命やりましたね。井上くんから「プロの作家ではないから、いい曲が出来る時とそうでない時とのバラツキはあるだろうけど、でも手作りのものをファンに届けた方が長い目でみたら喜ばれるよ」って言われて。実際、曲作りにすごく時間がかかるんだけど、ランティスがあってJAMがあることで、自分が創造することが好きな人間に変わったんだと思いますね。僕は48歳なんですけど、今が一番音楽を聴くし、ライブをやっていても一番楽しい。それとここ5年ぐらい自分にノルマを課していて、月に2本、弾き語りのライブをやっているんですよ。主に地方でライブをやりたいという気持ちがあって、地方だとバンドではなかなか行けないですからね。ライブハウスやカフェで歌うことが、音楽がより一層、僕の普段の生活の中に入ってきた要因だと思います」

石川「すごいな、そうやって続けていくというのはなかなか出来ることではないですよ。私はライブ活動をほとんどやっていないので、ライブの時に、どういう風に自分の集中を持っていけばいいのかわからないんですよ」

影山「ライブをやらないんですか? ホントに? もったいない。自分のアコギのライブは別としてJAMの時はすごく集中しているし、メチャメチャ緊張しますよ」

石川「緊張するんですか? ホント?本当に!?」

影山「もうゲロ吐きそうですよ」

石川「エーッ!! 私は一度JAMのバックステージを観てみたいと思っていたぐらい、出番前からハイテンションなんだろうなと思っていました。だって、あんなに熱気のある堂々としたステージをしているじゃないですか。奥井さんや遠藤さんとかも緊張しているんですかね」

影山「遠藤(正明)は相当、緊張していますよ。JAMの時はいいけど、個人のライブの時は観に行った俺に、アガってるのが伝わってくるぐらい (笑)。アイツは性格がすごく優しいんですよ」

石川「今の話で遠藤さんに対するイメージが一変した(笑)。もっとクールな方なのかなって思っていて。私も歌詞が飛んじゃったりするぐらい緊張しますよ。「どうしよう、どうしよう」って思っちゃう人間なので、みなさんでもそうなのかと思ったら何だか安心しました」

影山「石川さんこそ全然、緊張しているように見えないけどね。いつも淡々と落ち着いていると思っていたので、今の話を聞いて、人間味がある石川さんに好感度アップですよ(笑)」

石川「でもどんな場所でも全然動じない人よりも、表舞台では堂々としているけれど、その裏では小鳥のように震えている人の方が好きですよ。弓矢を飛ばす時って、矢を極限まで引いて飛ばした時の方が、その反動で勢いが増すでしょ。感情のうねりもそれに似ているのかなって。吐きそうになるぐらいにまでなった方が、ステージに出た時にオーラが出るのかもしれないですね」


石川「影山さんはキャリアが長いですが、20歳ぐらいの時に戻りたいと思いますか」

影山「俺は全然思わないね、昨日にすら戻りたくない」

石川「カッコイイ!!」

影山「いやいや、ただ昔の自分ってすごく無力な感じがしてね」

石川「逆に5年後、10年後の自分を見据えて、今から備えていることってありますか」

影山「ちょっと髪の毛の量が心配なぐらいで(笑)。DNAからすると危険な家系なので、今の俺で、影山家の奇跡と呼ばれているぐらいだから(笑)。今年同窓会に行ったら、みんなオジサン、オバサンになっちゃっていてビックリしたんだけど。仕事がら見た目はある程度、大事だしね」

石川「意識的に気をつけないとダメな年齢に入ってきていますからね。仕事の面では、近い将来の目標ってありますか」

影山「JAMが一段落したら、自分のオリジナル・アルバムを海外で録音したいと思っていて、その時に現地のミュージシャンと直接話をしたり、メシを食ったり、飲みに行ったり、通訳を通さずにちゃんと自分でコミュニケーションを持てたらなって思っているんですよ。できれば3ヶ月ぐらい滞在しながら、作品が作りたいんだけど」

石川「私はこの間アイルランドでレコーディンクしたんですけど、細かいニュアンスを伝えるには、通訳を介さないで、直接自分で話すのが一番だと思いましたね。影山さんのソロはJAMとはまた違う色合いですよね」

影山「ここ2枚出しているアルバムはアコースティックな作品です。いつかセルフ・レコーディングをしたいと思っていて、デビュー30周年の時に自分の自宅にある狭いスタジオで8割ぐらい作って、残りの2割をバンド・メンバーと録った素朴な作品を作ったんです。その時に自分で詞も曲もアレンジもという形が出来たので、次は本場のミュージシャンとスキンシップをしながら、作れたら最高だなって考えていて」

石川「そこまでイメージが固まっているんだったら、今すぐにでもという気持ちにならないですか」

影山「俺までそれを言い出しちゃったら、JAMが立ち止まっちゃうというのもあるしね。JAMは寄り合い所帯だから、誰かが先導していかないと、フッと立ち止まってしまう怖さっていうのがあるんですよ。来年は結成10周年なので、国内で大きなツアーと、そしてもう一度ワールド・ツアーをしよう、初めてのオリジナル・アルバムを作ろうというのがあるので、今はその流れを止めたくないんですよ」

石川「確かに、流れってありますよね。フッと止まっちゃう時があるので、いつも漕いでいなくちゃいけないみたいな。それでも止まってしまったら、ジタバタしないで1年ぐらい休んでもいいやというぐらいの気持ちを持っていないと。今の石川智晶は、そんなふうに構えていられるので、ヘンに焦ったりしなくなりましたけど」

影山「サメみたいに動いていないと死んじゃうみたいな、そんな恐怖感ってあるかもね。石川さんは転機になった出会いはあるんですか」

石川「私はやっぱりプロデューサーの野崎(圭一)さんですね。歌が上手くて楽曲も作れてパフォーマンスも出来るアーティストなんて、たくさんいるでしょ。その中で私が何をやるべきかということになります。「いかに私が似合うことを見抜いて誠実に言ってくれるか、そこを前に押し出してくれるか」だと思うんですね。野崎さんは一から十まですべてではないんですけど、一番大事なところをつかんで、私をググッと広げていくのが上手いから。私はプロデューサーが必要なタイプのアーティストだと思うんです」

影山「僕も野崎さんとは知り合いで、昨日も用があってメールをしたんですけど、その時の文章の中に「僕は石川智晶に代表されるような哀しいアニソンを作りたいんです」っていう言葉があって、野崎さんは石川さんを大事にしているなと思ったし、野崎さんも石川さんがいることで、自分がやりたいことができているんじゃないかな」

石川「そうだとうれしいですけど。影山さんがポジティブなアニソンだとしたら、私は真逆ですからね。アニサマの時なんかは、ワーッと盛り上がっているところにいきなり私がステージに立って歌って、大丈夫かなって考えちゃったりして」

影山「何を言っているんですか。石川さんが登場した時の歓声ってすごいじゃない」

石川「全然覚えてない、とにかく緊張しまくっていたから。ステージに上げる直前まで野崎さんに「私が出ていいんですかね」って何度念を押していましたから(笑)。私の歌はノレない曲だから、お客さんがボーッと立って観ているのがわかるんですよ。みんなを戸惑わしちゃったんじゃないかなって思ったりして」

影山「いや、僕は素晴らしいなと思って観ていましたよ。アニサマって最後にみんなでステージでアニサマソングを唄うじゃない。その時に女性陣の歌声ってあんまり聞こえないんだけど、石川さんが歌うとガーンと会場に響くんだよね。遠藤と「石川さんの声ってデカイよね」って。やっている音楽と、声量やその人が持っているパワーって別じゃないですか。すごくスローでムーディな曲をやっているからって、声量がないのが許されるわけではないから。声の力が強い方が客席に歌が届く力があるし、当然、説得力も違ってくる。石川さんは卓越していましたよ」

石川「ありがとうございます。でもライブって、そういうところも含めてすべてがさらけ出されてしまう場なので、怖いんですよ。歌がハートにくるかどうか、響くかどうか、すぐわかっちゃいますからね」

影山「発声練習をしたりして、歌声を鍛えているんですか」

石川「まったくしないです(笑)。ただ、子供の頃に少年少女合唱団みたいなところに所属していたんですね。その時は大嫌いで、結局スターティング・メンバーになれなくて、ずっと補欠のままだったんです。だけどスターティング・メンバーから歌手になった人はいなくて、補欠からは何人か歌い手になっているんですね。その頃は腹筋をしながら発声をしたりして本格的に鍛えていましたけど、でもそれは小学校を卒業するまでの話ですから」

影山「何で補欠だったんだろうね。個性があると合唱団ではダメなのかもね。カラオケの点数と同じだよ。俺がメチャ一生懸命自分の歌を唄っても30点(笑)。たぶん面白くない歌い方の方が点数がいいんですよね」

石川「ワールド・ツアーなどで各国を回られてると生で感じられると思うんですけど。何年か前に海外のアニメ好きの友達の家に滞在することがあって、海外での日本アニメの浸透をものすごく感じたんです。ちょうどサミットかなんかの時で、日本の歌手の方が歌っていたのがテレビに映ったんですね。その時に、外国人の友達が「日本の世界に誇るものはアニメなのに、何でアニメの歌を歌わないのか」ってキョトンとした感じで聞くんですね。その時に、海外の人々の方がアニメ文化をものすごく大きなものと捉えていて、日本の方がメインとして据えていないのかなって」

影山「そのギャップは俺も感じるね。海外に行った時によく聞かれるのは、「日本はアニメソングがベストテンのほとんどを占めているんだろう」ってを言われるんだけど、「NO!!」だよね(笑)」

石川「日本よりも海外の方が盛り上がっていて、逆輸入みたいな形でアニメが注目された感じなんですかね」

影山「海外のイベントに呼ばれたりすると、そのイベント自体は6回目だったりするのね。それで去年の写真を見せてもらうと、ゲストなんて誰も来ていないんだけど、何万人も集まったりしているんだもん。でも日本も段々といい方向に向いてきているんじゃないかな。来年の「アニうた2010 KITAKYUSHU」の挨拶をかねて、昨日、北九州に行って、市長さんに挨拶をしてきたんだけど、イベントに向けて早くも動き出していて、活気があったんですよ。公が街の活性化と発展を見据えて、アニメの歌のイベントにお金出すというのはスゴイことだよね」

石川「水樹奈々ちゃんが紅白出場を決めたり。それも大変なことですよね」

影山「彼女はアニソン界のシンボリックな存在だと思うし、自分で詞曲も手掛けて、オリジナル・アルバムがチャートの上位にランク・インする。俺より上の世代と、下の世代ではアニソンを歌う歌手のあり方が違ってきているのは確かだよね」

石川「この間、チッヒー(米倉千尋)と話していて、アニサマも第一回目の頃は、まだそれほどの盛り上がりはなかったって言うんですね。ここ7、8年からすごい勢いで盛り上がっているんじゃないかって」

影山「俺もそう思う。俺は学祭なんてこれまで数えるほどしか行ったことがなかったんだけど、去年と今年は10校ぐらい呼ばれたのね。その中にはトークもあるんだけど、学生の質問もJAMに関することが多くて、今の大学生はオタクでなくても、普通にアニソンが好きなんだなって実感しましたね。自分を元気づけてくれるアイテムとしてアニソンは必要なもので、友達とカラオケに行った時には盛り上がる曲として歌うわけでしょ」

石川「マニアックにアニメ好きではない、一般の人への浸透度は急速に増している感じはしますね。かわいい女のコも増えたし、カップルもいる。普通のスーツを着たサラリーマンの人が、アニサマの時に、コスプレして観に来ますもんね」

影山「JAMのコンサートも3年前ぐらいから客層が変わってきたんですよ。それまでは男が多かったんだけど、カップルで楽しむ10代が増えているのね。たぶんJ-POPを聴いている層とそんなに変わらない人達がライブに足を運んでいるからだと思うんだけど。石川さんのファンもサラリーマンもいるだろうけど、実は若いコが多いんじゃないかな」

石川「そうですかね。ライブをしないから、ファン層ってわからないんですよ」

影山「何でしないのよ。だってヒット曲だけだって十分、ステージ構成できるでしょ」

石川「でも、自分がライブで歌っている絵が見えないんだもん。MCなしでもいいかな」

影山「そこがダメなの!?」

石川「ただガッーと集中して歌いたいんですよ」

影山「俺、今日話していて思ったんだけど、中島みゆきさんの「夜会」を観たことがあって。演劇的な要素が強いステージだから、通常のライブとは趣は違うのかもしれないけど、彼女も歌としゃべりのギャップがあるでしょ。歌としゃべりの落差ってところでは、石川さんにも通じるものがあるなって。深みのある歌を唄った後に、「でねぇ…」って、ざっくばらんにしゃべっちゃえばいいよ。いい意味でがさつな感じのしゃべりがウケると思うけどな。石川さんは、何でも相談に乗ってくれるお姉ちゃんって感じがあるから、きっと女性客が集まると思うんだけど」

石川「そうですか、今のそのアイディアをポケットに入れて、持ち帰りますよ(笑)」

影山「だってレコーディングは何度も歌い直しができるけど、ライブは後戻りできないんだから。集中力がある人ほどライブに向いていると思う。終わった時にハーッとなる達成感、やり切った時に味わったことのない幸せがあると思うよ。もう死んでもいいと思うぐらいの満足感を得られる時があるのが、ライブだから」

石川「ちょっと考えてみますか…ね。最後になりますけど「男らしさ」について。これは対談したみなさんに聞いているんです」

影山「男らしさというか、これは自分のモットーなんですけど「諦めないこと」。諦めないことは日々続けること、日々続けることは、毎日をポジティブに過ごすことなんです。それはどんなにネガティブな日もポジティブにふるまうということで(笑)。それが男らしさかどうかわからないけど、僕が自分に課している責任なんです。それができれば自分はまずはいいかなって」

石川「それだけできれば相当すごいですよ。落ち込んでいる時でも元気にふるまうって、精神的にも大変だけど、結構、肉体的にも疲労しそうですもの」

影山「バンドをやっていると、日替わりでネガティブなヤツがいるわけですよ。そうすると誰かのネガティブな空気に自分が持って行かれそうな時がある。それを振り払うのがリーダーの仕事で、それには自分は「この人、バカじゃないの!?」って思われるぐらい、毎日ポジティブなムード・メーカーでいないとダメなんですよね。それを365日続けること、自分の夢や目標を諦めないこと。これが「男らしさ」かな」

石川「十分、男らしいですよ。だって、仕事の中で何より大変なことでしょ」

影山「それがリーダーの仕事なのかも」

石川「私も仕事をやっていくうえで、人間関係を円滑にするために、誰かに気をつかったり、しなくてはならない時もあって、そういう時は「これが私の仕事なのか」って気持ちになる時がありますから。それを日々続けるなんてすごいです。逆に影山さんのセンシティブな部分、弱さはなんですか」

影山「う〜ん、あの、ホント言うと弱肉強食の世界の中で、自分が飛び込んでいって、前に出ようとするのがイヤです。一つしかないものだったら、「どうぞ」って言える自分でいたいと思っているんで。でもそれではダメな世界でしょ。ただ歳とって楽になったのは、そういう場面に立たされることが少なくなりましたね。ガツガツいかなくてもいいポジションになってきたというか…。アニサマの出演者を見渡しても「長老」ですからね(笑)」

石川「それはよくわかります。逆に女性に求める「女らしさ」は何ですか」

影山「優しさの中の強さかな。お母さん的な部分というのは、男にはないですからね。安心感を与えてくれる人がいい。」

石川「ミュージシャンの妻は大変ですよね。浮き沈みがありますからね」

影山「奥さんが「どうしよう、今月はアルバイトして」って言うタイプの人だったらダメだったね(笑)。それと奥井ちゃんを見ていて思うんだけど、いつもキレイにしていようと努力している女性は、女らしいなと思いますよね」

石川「いつもキレイにですか。そっちは疎くてよく知らないんです。たまに泳いで、水に包まれると気持ちいいなってぐらいしか健康的なことはしてなくて(笑)」

影山「だったら奥井ちゃんに聞くといいよ。彼女は美容とか洋服とかすごく詳しいから。年相応の美しさっていうのがあると思うし、男も女もいい歳の取り方をしていきたいからね」


 ライター:川崎直子
 カメラマン:青木武史
 撮影場所:VICTOR STUDIO 401 ST

影山ヒロノブ プロフィール

16歳のときに、バンド“LAZY(レイジー)”を結成。77年にプロデビュー。「赤頭巾ちゃんご用心」「DREAMER(ドリーマー)」などの名曲を残し、LAZY解散後、ソロとして85年スーパー戦隊シリーズ「電撃戦隊チェンジマン」の主題歌で、アニメ・特撮ソングデビュー。以後「聖闘士星矢」の主題歌「聖闘士神話〜ソルジャードリーム」など、多数のアニメ・特撮ソングを歌う。89年「ドラゴンボールZ」のオープニング曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」は130万枚のセールスを記録。現在は、アニソン界最強ユニット・JAM Projectのリーダーとして2003年からは毎年世界各地5カ国以上から「ANISON」イベントのオファーを受け、2008年にはついにJAM Projectを率いて日本のアーティストとしては数少ない「ワールドツアー」(世界8カ国10都市)を敢行しアニソンファクターとしても数々の名曲を生み出し続け、国内のみならずブラジル、アルゼンチン、スペイン、台湾などワールドワイドに活躍している。デビュー30周年となる2007年にはセルフプロデュースによる“影山ヒロノブ”のオリジナルアルバム『30years3ounce』をリリース。自身のライフワークとしたアコギライブを積極的に行い、全国津々浦々までその音楽を届けるなど、多岐に渡って爆走中!




《Letter of thanks : 影山ヒロノブさま》

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