《第7回》 石川智晶VS富野由悠季

約1年間続けてきたこのコーナーも最終回。ラストを締めくくるのは、アニメ界の重鎮である富野由悠季監督だ。あえて『ガンダム』から離れて、人間の生き死にという深いテーマから滑り出した話は、現代社会の問題点、未来への提言、そして音楽についてまで幅広く言及した、実りの多い内容となった。本音で熱く語る富野氏と、それを真正面から受け止める石川さん。ストレートで包み隠さない言葉のやりとりの中に、お互いの考えや人柄が滲み出た対談となった。




富野「最終回だから年寄りなんだ。僕はほとんど役立ちませんよ」

石川「今までの対談は仕事に向かう姿勢とか、自分の立ち位置みたいな話をうかがってきましたが、監督とは『ガンダム』の話ではなくて、監督ならではのもっと違う話をしたいなと思っています。“生き死に”についてはどうでしょうか? というのも最近、私のことを娘のように可愛がってくれた叔母が亡くなったんですね。それで叔母の遺品を整理するために福岡に行ったのですが、すごく物が多いのです。デパートの包装紙とか、商店街のクジとか、色んな物がとってあって。結局、一週間滞在しましたが、片づかなかったです。叔母がこれだけの物に囲まれて雑然と生きていたのかって思うと、それはそれでいいのですが、死ぬ準備ってしておかなくちゃいけないのかなって感じました。荷物はどんどん少なくしていった方がいいのかなって。残された者からすると、叔母の人生を全部、片づけなくちゃいけない気がして。正直、煩わしさもあったし、重かったです。死ぬ準備って、いつからしたら良いのでしょうか(笑)」

富野「それは笑い事ではなくて、いつからでも準備をしていいんだと思います。でも生きている人には絶対に死ぬ準備はできません。それがもしできた人がいるとすると、意識的に自分の死を早めることになりますから。そういうメンタリティを発酵させることになるから、生理学的に出来ないんだと思います。“死ぬこと”ではなく、逆に“生きること”を考えた場合、“生きること”って、雑然としたことなんですよね。何時のものかわからないクジとか、何に使うかわからないシールとか、とってあったこと自体を忘れていて片づけていなかったという考え方もあるけれど、“生きている”ってことは、実はそういう雑然としたものの上に乗っかっているんですよ。誰でも自分たちの足元を見つめればそういうものがいっぱいあるわけで、あるからこそ生きていられるわけです。なぜなら、そういうものがなくなった時には“絶望”しかないから。“絶望”にとらわれたくないために、極端な言い方をすると、物があることで絶望感の半分ぐらいが癒されたり、忘れられていたりしているんです。テレビでたまにゴミ屋敷の報道がされているけれど、それは寂しさ隠しのための物量なんですよね。ある部分、そういう物でしか寂しさを埋め合わすことができないのは、心の貧しさかもしれません。でも物を集めないで寂しさを紛らわすこともできます。それは何だと思います?」

石川「う〜ん。私は物を増やすタイプではなくて、物を捨てていくタイプなんですけど」

富野「物を捨てられるってことは、別のことで寂しさを埋め合わせる方法を持っているんですよ。欲をかくということやっていくと、物は必要じゃないんです。“こうしたい、ああしたい”というのを持っている人は、別の言葉で言えば向上心があるということなんだけど」

石川「これが向上心というものなのか。メチャメチャ、物を捨てますから」

富野「向上心にもいろいろ種類があるんですけど、この話は長くなるので今日はやめます。願望とか欲とかも含めて雑多なものが、自分が今ここにいるための足場なんですよ。物理的な家だけでなく、家名や氏素性もそうです。自分が生きる上での手がかりになるわけです。『私は鳩山家の御曹司です』っていうだけで、生きていけるわけじゃないですか。それは親戚縁者、友達にまでも広がっていく。『こんなイヤな親せきがいてさ』っていうのも『俺はあの有名人と友達なんだよ』っていうのも同じで、その人にとってみれば何か語りうるものを持っているということが、その人のプライドだったり、生き甲斐であったりするわけです。その人自身は何も成し得ていなくても、そういう雑多なものが必要なんです。僕の両親は10年前ぐらいに順々と亡くなったんだけど、遺品の整理はプロに任せた方が片が付くと実感しました。冷たいようだけどそうしないと、余計なことをすごく考えてしまって、自分の中にまた雑多なものを増やすことになります」

石川「私もプロの片づけの方に頼みました。そうしないと写真一枚、捨てられなくなっちゃうから。叔母の女学生時代の写真を『ゴメンナサイ!!』って心で唱えて自分で捨てるよりも、人に捨ててもらった方が逆に気楽だなと思いました」

富野「僕はいまだに両親の物をすべて捨てられないのは、雑多なものを自分の中に持ち込んでしまうという性格もあるし、写真一枚でも『これは当時の着物姿を描くのに貴重な資料になるかもしれない』という仕事柄からくる必然もある。さっき何かをしたい、したい、したいという願望があれば物がなくてもいいって話したけれど、その“したい”ものがあるために、“したい”ことを実現するために物が必要になるというのもある。僕はすべてを総括できて即座に判定がつく自分になりたいんです。だから世界中の物、全て欲しい。でもその欲はあまりにも酷すぎるから、自分でその欲求に潰れそうになりそうな時がありますね」

石川「それだけの羨ましいほどの欲があれば、監督はまだまだ死なない気がします。」

富野「死ぬ準備をしなくちゃいけないというのは重々承知しているんですけど、欲を捨てて達観なんかできるか、冗談じゃない!っていう部分もあって、困っていますね」

石川「残された者たちにキレイに死んでくれたなと思われるのもいいのかなって、思ったのです」

富野「死ぬ瞬間に迷惑さえかけなければいいんだろうなっていうのはあるね。いい死に方をしたい、長く病院で過ごしたくはない。できたら仕事場で死にたいというのはレトリックではなく、一番幸せなことだと思っているから」

石川「以前は自分の音楽をCDという形に残したいという気持ちがあったのですが、最近はそういう感情がなくなっています。監督は何を残したいですか」

富野「人が残せるものというのは、目的意識だけです。わかりやすく話すために極端な話をしますよ。僕は人類がこれから10万年生きる方法を見つけたいと思っている。でも自分では申し訳ないけど見つけられなかった。だからお前ら見つけてくれという意志を残したいんです」

石川「どうやって?」

富野「そのために人類が見つけ出した方法は子供を作り続けること。遺伝子を残すことなんです」

石川「子供を産むという行為には女性が必要ですよね。子供は絶対的に確かなものであって、かけがえのないものであるというのはよくわかるのです。でも女性にとって産む、産まないというのはものすごくセンシティブな問題であって、生活とか産める環境とか、現実社会の中の色んな問題が絡んでくる。仕事をバリバリ続けたいという女性に人類学や思想的な観点から『女としての仕事というのは命をつなぐことだから産みなさい』とは、私は言えないです」

富野「社会の色んな問題はもちろんありますよ、でもそんなの関係ない」

石川「関係ない、ですか(苦笑)」

富野「なぜなら今、石川さんがおっしゃられている言葉遣いが10、20年前とも違う、10、20年後とも違う現代の言葉遣い、今の考え方なんですよ。それでこの問題を語っちゃいけない。男は女性に肉体的に子供を産んでもらわざる得ないわけで、では男がやるべき任務とは何かって僕はずっと考えました。それは次の世代に明確に10万年生きるための意志を残すってことなんですよ。それを経済論や社会論や政治論にすり替えていって、小難しい話にしているのは良くないと思うようになった。なぜかと言えば、男が女性に子供を産ませなければならないという任務を、これまでキチンとした言葉にしてこなかったからだと思っている。オスとメスで構築しなくちゃいけないことは、生物論で言えば『永遠に生きろ』なんですよ」

石川「そうか…そういう風に語られたら女性は案外、考えずにポコッと産むかもしれません。小さい世界を見せつけられたら余計産まないのかも」

富野「ちょっとした知恵を持った言葉で、子供を産む、産まないを語るなってことですよ。僕の生き死にに話を戻すと、僕は自分のこの考え、意志を引き継いだ人間が次の世代にいるなというのが確認できれば死ねます」

石川「・・・・。」

富野「僕の発言を真っ直ぐに進めていくと、とても危険な思想に陥ったりもするんですね。僕か政治家だったら反感を買う人たちから殺されちゃうかもしれない。だから最近、ガンダムの富野でよかったなと思うんです。どんな発言をしても『アニメ屋が言っていることだろう』っていうところで世間が見るからガードをかけられる、安全パイでいられる」

石川「確かに監督の発言はストレートすぎて世間的には受け入れられないかもしれないけど、でも何でも曖昧に優しくというのも危ないことだと思います」

富野「人が生きているというのは、現実の中ですり合わせを積み重ねていくってことだと考えた時に、雑多なものがいっぱいあってもしょうがないと思う。それを片づけていかなければならないのは次の世代の人たちで、彼らに任せるしかない。その時に次の世代の子たちが、せめて自分より半歩でも三分の一歩でも志が高くあって欲しいと思うんだけど、現実はね…(苦笑)…困ったよね」

石川「教育の問題もあるんでしょうね」

富野「あります。それは先生にも親にも問題があると思うけれど、突き詰めれば、浅はかな知恵しか持っていない人間は、物を言うなってことなんだよね。日本の民主主義教育は、誰でも権利を主張していい、誰でも個性があると教えてきちゃった。本当に個性があったらブランド品なんて買わないよね、流行を追ったりしないでしょ。ブランド品を買って流行を追いかけることを知恵だと思っているのかもしれない、個性だと思っているかもしれない人は、浅はかなんですよ」

石川「個性を出すと孤立すると考えている気はしますね。みんなと同じことをやっていないと不安なのは孤立を恐れているからなんじゃないかな」

富野「戦後、日本は高度成長を続けてきて、大量消費が始まりました。文化生活を営んで、一億みな中流意識を持ってしまって、飽食の時代を過ごしてきた。僕も含めて国家の隆盛期に生きてきた今の日本人は、世界的に見て異常なほど贅沢に暮らしてきたわけです。何も考えないで暮らしていける時代を生きてきた人に、使えるヤツなんていませんよ。せいぜい角が立っている人間がいても、僕のレベルまで(笑)。でもこれからの日本はそうはいかない。独立国家と言いながら食料自給もできていない国で、今までのような暮らしが出来るわけがない。原料や食料が今のように手に入るはずがない。僕が今ありがたいなと思っているのは、僕はあと20年生きるわけじゃないから、沈没する日本を見なくてすむ(笑)。でもね、一度徹底的にダメな国にならなくちゃ、日本は立て直せないのかもしれない。国中にホームレスが溢れるぐらいにまでなった時、才能のある人間が出てくるんじゃないかな」

石川「トコトン落ちるとキレイ事が言えなくなって、考え方がシンプルになるんでしょうね。本音が言えるようになって、明確にものが見えやすくなるから」

富野「飢餓感がなければ、新しいことを生み出す、何かを“したい、したい、したい”という欲は出てこないでしょうね。はたと気づいたけれど、今日はこんな話でいいんですか?」

石川「今、気づかれたんですか(笑)。とても興味深いお話です。監督がおっしゃったように、みんな同じような家に住み、同じような教育を受けて、同じような音楽を聴く。そして同じようなアーティストがいる。個性のあるアーティストを受け持つマネージャーもいなければ、プロデューサーもいないとなると音楽業界としてもしぼんでいきますよね」

富野「そこに気が付いたなら、あなたは次の段階に行けばいい。僕は60歳までアニメ業界で食べさせてもらってきたので、今みたいな話はこの2、3年、意識して勉強して構築してきたものなのね。改めて色々と勉強をして、その中で人類が10万年生き続けなければならないということがはっきりわかった時に、どういう言葉遣いでそれを伝えていくかということが非常に大事だと感じました。目的意識を持たないと勉強はできないってことがわかった。ただね、お勉強だけ、学問だけをやっていてもダメなんだよ。雑多なことを知っていないと、自分を学問や知識を生かすということが全くできないんですよ」

石川「それはそうです」

富野「僕はミュージシャンなんて有象無象の集まりだと思っているんだけど、僕の時代には色んな才能がいたんだよね。でも今は標準化した人の集まりでないかと思っています。一度も叩きのめされたことかない人間が、中学や高校ぐらいからバンドをやってきた人間が100人いたからって、みんながクリエイターってわけじゃないんでしょう?」

石川「う〜ん、厳しい意見です」

富野「石川さんに言いたいのは、僕は自分がやっている仕事が真ん中にあったとして、その時に視界に入ってくる右と左のものは絶対にやらなかった、ということ。もう一つか二つ、遠いところにあるものを持ってくるぐらいの気をつけ方をしました。僕の場合は、自分がいまだにアニメが好きになれないということはとってもいいことだと思っています。アニメが好きだというところで作ってはいけない、アニメが嫌いだというところでアニメを作る。それは今も意識している。それはどういうことかと言ったら、アニメという手法を使って映画を作るってことを目指しているから」

石川「音楽も音楽が好きっていうところだけで作ってはいけないってことですね」

富野「それはそう。僕は音楽については素人だからよくわからないけど、みんなの耳が良くなりすぎちゃっているというのと、デジタル技術の発達したことで、誰でも簡単に音楽が作れちゃうようになってしまったでしょ。でもさ、音楽っていうのはそれほど簡単なものではないと考えれば、『火の鳥』のイーゴリ・ストラヴィンスキーの域にまで戻る、そこまでの作り込みをやっていくしかないのかなって、ポップスであってもねとは考えます。今、自分が思いつくあらゆる手法を駆使する以外ないと思うんだよね。ただあらゆるものを統合していくといい作品ができるかというと、それは嘘です」

石川「いろんなものを作り上げていって、作品にする時に今度は余分なものをそぎ落としていく、マイナスの作業は必要ですよね」

富野「どうやってそぎ落とすかというと、その曲のテーマに関して、そこまでいるのかいらないのかということを、考えなくちゃいけないと思うんだよね。それがなされていないから、僕には今の音楽がみんな同じように聞こえちゃう。鮮やかなんだけど、それは創作ではないんじゃないってね。初音ミクの音楽とかさ」

石川「あんな高い声では歌えないし、あんな早くは歌えない(笑)」

富野「芸能っていうのは、単純に音楽を聴かせるっていう甘っちょろいもんじゃなくて、感覚的にも生理的にも心に響くものなんだよね。忌野清志郎さんの音楽って、僕は聞き続けてきた人間ではないし、好きだったわけじゃないけど、彼が亡くなられた後にちゃんと詞と曲を聴いてみて、正直かなりショックだった。ここまで組み立てるんだ、ここまで物語コンセプトがあるんだってことにね。それで、『あなたは頑張ったよね』って認められるんだ、なるほど、あれだけ支持される理由もわかる。となれば、あのレベルまでは最低、頑張らないとさ」

石川「それが最低ラインですか、難しい。さっきの“みんな同じ”って話に戻りますけど、自分の好きな音楽をさがそうとか、見つけ出そうとか、そういう能動的なアクションが今の人には少ない気はしますね」

富野「飽食の時代だから、みんなブロイラーのように口を開けて待っているだけで、僕は飽食の時代に、新しいものが生まれることはまずないと思っている。でもその中で、現役として生き残らなければならないわけじゃない。そうしたら、10年後にも間違いなく聴かせられる作品を意識して作っていくってことしかないと思う。僕が『ガンダム』というタイトルを使って作ったものは、絶えず『ガンダム』を外したところにテーマを設定していったつもりです。それは10、20年後にわかってもらうコンセプトなわけ。僕が関わった一番新しい『ガンダム』は、もう10年以上前なんだけど、その時のテーマがあと5年、10年後にみんなにわかってもらえるかもしれないというのは、マスターベーションかもしれないけど、僕の自尊心になっている。この自尊心こそが大人にとって大事なことで、そういうものを死ぬまで探し続けていくということが、人を劣化させない生き方なんじないかなと思います」

石川「監督はますます死なない気がします。閉塞した社会を打破するような救世主は出てこないですかね」

富野「社会が混迷に陥れば陥るほどヒーロー待望論は高まるけれど、それはいません。日本の漫画の中にいるヒーローって、生身の体を持ったヒーローは『キン肉マン』ぐらいで、あとは『仮面ライダー』とか『ウルトラマン』とかあっちにいっちゃうわけ。どっちかって言えばモンスターなんだよね。アメリカは『スーパーマン』や『スパイダーマン』なわけ。それは多民族国家か単一民族国家かって話にもなってくるんだけど、『ガンダム』に関しては、『ガンダム』は日本が工業化に進んでいく時代の中で“これで突き進んでいいのかな”という異議申し立てがあったんだけど、今は日本が衰微しちゃっているから、逆にみんなの憧れになっちゃったんだよね。そして一般市民が『ガンダム』を語るようになっちゃった。本来はあれはオタクなものであるはずなの」

石川「『ガンダム』がど真ん中にきてしまいましたからね」

富野「だったら『ガンダム』というタイトルを使って、次の世代にあと10万年、みんなで生きていこうよという種を埋め込んでいきたいと考えています。音楽も、そういうコンセプトワークを付け加えていったらいいんじゃないのかな。それと僕はNHKの合唱コンクールを観ていて、そのコーラスの素晴らしさに感動して、その楽曲制作者の方と対談することにしたんだけど、このコーラスの快感をアニソンから始めたっていいんじゃないのって。そういうふうに言ったら、きっと相手は怒ると思うんだけど(笑)。クラシックの人は、ポップスなんて嫌いでしょうから」

石川「私は合唱団出身なんですけど、その頃の友達と話すと『アニソンなんか歌っているの?』みたいな反応をしますよ。みんな自宅でピアノを教えたり、歌を教えたりしていて、そういう方が上等だという考え方が根強いですから」

富野「クラシックは、所詮アコースティックなわけ。所詮というのは悪い意味ではなく、音楽の持っている一番のいいところを押さえているんじゃないかと思うわけです。それをポピュラー音楽やアニソンにもっと投下したらどうかと憧れます。それと合唱コンクールの歌を聴いていて感じたのは、アンサンブルのテクノロジーだけで現代的な音にしているスゴさは、手に入れるべきだ、と、これはアナタに言っているのよ」

石川「わかっています、ちゃんと監督の言葉を受け取っています。アンサンブルというのは、間口が広くていろんなことができるんですよね。音がキッチリ取れればですけど (笑)」

富野「生きている体にとって気持ちのいい瞬間って、そのアンサンブルの快感なんじゃないかな。家でモニターを見ながら初音ミクだけやっている連中には、それがないんじゃないかと思うのね。僕はアニメでも体感するところまで行きたい。ロジックという理屈で感じるだけではなく、フィジカルに感じるところまでいく演出ができないかっていうのが、自分の中で課題なんです。音楽は元もと体感しやすい媒体じゃない。ライブはまさにそういう場だけど、みんなが機械的に立って同じ振り付けしてっていうのが僕は嫌いなんですよ。だから最近、ライブを観るのはそんなに好きじゃない。不幸の集まりっていう気がして」

石川「アハハハ。みんなと同じ振りをして安心したいというのはあるのかもしれませんね。海外でライブをやっても同じ振りだったりします。ユーチューブとかを観て覚えるんですかね」

富野「できが悪いライブだったら『帰れ!!』ぐらいのブーイングを飛ばしたっていいんじゃない(笑)。それを乗り越えてみせるぞっていうアーティストがいてもいいんだけど」

石川「テクノロジーの発達で、キレイな音に仕上がるようになったわけです。でもレコーディングでキレイに仕上げれば仕上げるほど、心には響かなくなっているような気がして」

富野「滑らかに気持ちがいいものは、引っかからないのね。それとさ、僕はそろそろ打ち込みはやめて欲しい」

石川「いや、打ち込みって作る方は楽しいですよ(笑)。歪ませたり、揺らいだりもできるわけだから。ただ単純にキレイに機械的な音作りをしていると心にこないものしかできないですけど」

富野「それはそうですよ。我々は自然環境の中で暮らしているんだもん。風、水の音は一定ではない。それに対応するように人間の本来の感覚は育っているんですよ。サンドペーパーをかけたよう音が胸にくるわけがない」

石川「でも打ち込みでも歪みだったり、揺らぎだったりは、機械の数値ではなく自分の耳で判断するわけだから。作ったものを自分の耳で確かめて、もうちょっと歪ませようとか揺らごうとか。その判断は人間なわけです。作り手一人、一人によってタイム感があるから、ほんのちょっとのリズムの速さについて、プロデューサーやミュージシャンと『このテンポは気持ちいい、いや、俺は気持ち悪い』って話になる。それだけで30分ぐらい話し込んだりするんですよ」

富野「そこでさっきの話だけど、学問バカではダメ、音楽の知識があるゆえに音楽バカになってしまってはダメ。全体を通してコンセプトやメッセージを考えた時に、そのアンサンブルなのかっていうところで判断していかなくちゃ。ストラヴィンスキーなんかは、ここまでいろんなことを考えてやっているのかって思うとさ、『クソ!!』って。嫌いなんだけど、好きって(笑)」

石川「今頂いている挿入歌の仕事で、ある秒数のところでストーリー上の画面がバッと切り変わることを想定しものを作って欲しいってと言われているんですけど、とりあえず一曲全体を作らせてもらってから調整したいのです。ちょうど曲調が切り替わるように最初から作らなきゃいけないのは難しい。その画面が切り替わるところで、主人公が生きることに目覚めることだけはわかっているのですが。デジタルチックにドンと音を入れるのかといったら、それもどうなの?と思うのでバランスの難しさがある」

富野「構成っていうのは、単純に言えば起承転結があるわけだけど、それをどう配置するか。配置の仕方はいろいろあるけれど、今あなたは一つのことにとらわれているために、全体の構成が崩れていることに気が付いていない」

石川「!?」

富野「お話を聞いていてヤバイなと思ったのは、技術論に陥っているようです。絶えず全体としての構成としてはどうなんだろう、各部の構成としてはどうなんだろうって考えるべきです。その意識を持つだけでもかなり自分を制御できる。まして感覚的なところにいけばいくほど、自分を制御するっていうことを意識しなくちゃダメなんです。一つのストラクチャーにとらわれそうになったら、今の話を思い出す。そうすればちゃんと修正できる。それは保証する」

石川「今のお話すごいです。保証して頂けるのですね。ありがとうございます」

富野「ということで、話して疲れましたので終わります(笑)」

石川「今日は与えていただいたものが多いお話でした」

富野「せめて自分よりも若い人にこうやって話してバトンタッチをしていかなくちゃいけないので、こういう話をしました。今日は自分では上手く話せた方です」

石川「そうですか。それはラッキーです」

富野「基本的に僕は嫌われている人間だから。何でかってというと、本当のことを言っちゃうから、だから大人に好かれません」

石川「私はちゃんと種を受け止めましたよ。根が素直ですから・・たぶん。(笑)」


 ライター:川崎直子
 カメラマン:青木武史
 撮影場所・取材協力: カイオナ東京 http://kaionacafe.net/

富野 由悠季 プロフィール

 富野 由悠季(とみの よしゆき) 

 【アニメーション映画監督】

1941年生まれ。小田原市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、虫プロダクションに入社、TVアニメ『鉄腕アトム』などの演出を経てフリーに。日本の様々なアニメーション作品の絵コンテ、演出を手がける。主な監督作品に『海のトリトン』『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』『聖戦士ダンバイン』などがある。また、作詞家、小説家、大学教授も務める。2009年ロカルノ映画祭にて名誉豹賞受賞。




《Letter of thanks : 富野監督》

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