プロフィール

1985年6月30日、ポーランドの首都ワルシャワの北西250キロにあるビドゴシチ市のさらに西方30キロに位置するナクウォ・ナデ・ノテションに生まれ現在も同地に住む。両親と7歳年下の妹との4人家族。両親は音楽家ではないが、教区の教会牧師の勧めによりラファウに4歳からオルガンを習わせ、5歳からピアノのレッスンを受けさせた。ワルシャワ国営ラジオ局に勤務する父の友人の助言を得てビドゴシチ市のルービンシュタイン音楽学校に入学したラファウは同音楽学校を卒業後、ビドゴシチ市のナワヴェジスキ音楽大学に入学、カタリーナ・ ポポヴァ=ズィドロン教授に師事して現在に至っている。彼はすでに数々のコンクールやフェスティバルでさまざまなタイトルを獲得しているが、主なものをあげると、1999年青少年のためのポーランド・ショパンコンクール第2位入賞。2002年A・ルービンシュタイン国際青少年ピアノ・コンクール第2位入賞。2004年夏ポーランドのドゥシニキで伝統的に開催されている有名なショパン・フェスティバル参加、同年11月、第5回浜松国際ピアノ・コンクール第1位なしの第2位入賞などがある。この浜松国際ピアノ・コンクール参加時点まで彼の自宅のピアノはアップライトであったため、それを知ったワルシャワ市が浜松出発までの2ヶ月間グランド・ピアノをラファウに貸与、この支援を受けた彼はみごと期待に応えロシアのアレクサンダー・コブリンと最高位を分け合うという快挙を果たした。またこのとき、審査員からは素直でのびやか、かつ詩情にあふれた音楽性とみずみずしい感性、くせのない技巧を高く評価され将来を嘱望された。同コンクールの獲得賞金で初めて自分のグランド・ピアノを入手できたことはいうまでもない。これに勢いを得て2005年1月、若手国際コンクール入賞者のみを対象とした招待コンクールであるアフリカ、カサブランカでの第4回モロッコ国際ピアノ・コンクールに出場したラファウは、ことにマズルカとポロネーズの演奏を高く評価され堂々優勝を飾った。最近は国内外でのコンサートの数も増え、国内ではワルシャワ・フィルハーモニーやポーランド放送局のコンサート・スタジオなどでも演奏し、国外ではウクライナのキエフやチェコ、ドイツなどでも演奏機会を得ている。2004年の日本再訪では彼の演奏が放送され、ポーランドのラジオとテレビに録音された。現在はまだ学生なのでピアノに多くの時間を割いているが、余暇には読書や映画鑑賞も楽しむ。尊敬するピアニストはパデレフスキとルービンシュタイン。得意なレパートリーはショパン。
そして2005年10月、第15回ショパン国際ピアノ・コンクールにて、3部門(ポロネーズ賞、マズルカ賞、協奏曲賞)全てを独占制覇し、完全優勝を果たす。
ショパンの祖国ポーランド出身者としてはクリスティアン・ツィンマーマン以来、30年ぶりの優勝者の輩出である。