PROFILE プロフィール

<from L. to R.>
セム・クリストフェル / Sem Christoffel (b)
ヤン・ホーフィング / Jan Hoving (vo)
マルト・ナイエン・エス / Mart Neijen Es (ds)
エイドリアン・ヴァンデンバーグ / Adrian Vandenberg (g)

エイドリアン・ヴァンデンバーグ、1954年1月31日にオランダに生まれる。70年代後半に、TEASERというバンドのギタリストとして活動した後、自身のバンドVANDENBERGを81年に結成する。翌82年にデビュー作「VANDENBERG(邦題:ネザーランドの神話)」をリリース。早くも、ギタリスト、そして作曲家としての片鱗をみせつける。そして、2ndアルバム「HEADING FOR A STORM(邦題:誘惑の炎)」を83年に発表し、続く3rdアルバム「ALIBI」を85年にリリースするも、商業主義に走った所属レコード会社に嫌気がさしたエイドリアンは、VANDENBERGを解散させる。

その後すぐ、一度は断ったデイヴィッド・カヴァデールからの誘いを受け入れ、WHITESNAKEに関わる。初めは、ほぼ完成していた「WHITESNAKE(邦題:サーペンス・アルバス 白蛇の紋章)」収録の“Here I Go Again”のセルフ・リメイクにギター・ソロを提供する形でバンドに関わったエイドリアンであったが、そのままWHITESNAKEに正式加入。腕の負傷でレコーディングにこそ参加できなかったが「SLIP OF THE TONGUE」(89年)では全編にわたり作曲にかかわり、続く「RESTLESS HEART」(97年)では、ついに作曲・レコーディングに全面的に携わった。WHITESNAKE在籍中の94年には、ルディ・サーゾ(b)、トミー・アルドリッヂ(ds)らと共にMANIC EDENを結成、アルバムを発表している。

WHITESNAKEは91年に解散(その後、再結成)。それを機にエイドリアンはWHITESNAKEを脱退し、芸術家としての本格的な活動を開始する。また、生まれたばかりの愛娘ミッキーの成長をそばで見ていたいという親心もあり、次第にミュージシャンとしての活動から離れていく。アルバム制作やツアーなどといったミュージシャンとしての本格的な活動は自粛しながらも、04年、VANDENBERGのベスト・アルバムをリリースすることになり、バンド最大のヒット曲“Burning Heart”を再レコーディングし、それに収録。

2011年、地元のプロ・サッカー・チーム『FCトゥウェンテ』からクラブのテーマソングの制作を依頼されたエイドリアンは、“A Number One”を提供。その曲を歌うシンガーとして、ヤン・ホーフィングに参加を要請し、ヤンはこれを快諾。同曲を優勝セレモニーで6万人の観衆の前でプレイすることになり、知人の紹介からマルト・ナイエン・エス(ds)を迎え、さらにそのマルトの紹介で、セム・クリストフェル(b)が加わり、のちにVANDENBERG’S MOONKINGSを結成する4人が揃った。

2013年、6月18日にオランダの『013』でのWHITESNAKEのライヴにエイドリアンが飛び入りでプレイし、観客を沸かせた。そしてエイドリアン、ヤン、マルト、セムの4人はアルバムを制作すべくニュー・バンドVANDENBERG’S MOONKINGSを結成。同年9月末より、『Wisseloord Studios』でレコーディングを開始する。アルバム「VANDENBERG’S MOONKINGS」は完成し、オランダのレーベルMascot Recordsと契約を交わす。そして「VANDENBERG’S MOONKINGS」を2014年2月にリリースする。エイドリアンがハード・ロック・アルバムをリリースするのは、WHITESNAKEの「RESTLESS HEART」以来、17年振りのことである。

そのデビュー作を携えて、『LOUD PARK 14』で初来日。2015年4月には、早くも初の単独来日公演を実現させた。その時点で、すでに次回作のリリースを視野に入れていた。そこから曲作りなどに時間を費やし、2017年11月、ついに待望の2ndアルバム「MK II」をリリース。そのツアー中に思いついたアコースティック・アルバムを実現した「RUGGED AND UNPLUGGED」を、海外では2018年11月にリリースした。

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