アルゼンチンが生んだ魂のハーモニカ奏者、待望の完全復刻!日本未発売盤1枚を含む、傑作アルバム3枚をカップリング!
世界初CD化 1972〜4年作品
#1-CD
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01
へだたり La distancia
La distancia -
02
ラ・フィナディータ La finadita
La finadita -
03
ウルグアイ河への歌 Canto al Rio Uruguay
CANTO AL RIO URUGUAY -
04
マサモレアンド Mazamorreando
Mazamorreando -
05
故郷に帰って De vuelta al pago
De vuelta al pago -
06
サルタの天幕小屋 Carpas saltenas
Carpas saltenas -
07
私のサンバ Zamba mia
Zamba mia -
08
どこにある? No lo hallo
No lo hallo -
09
遠くを目指して Hacia la distancia
Hacia la distancia -
10
古きチャカレーラ La vieja
La vieja -
11
私のラウラ Para mi Laura
Para mi Laura -
12
ビバ・フフイ!
VIVA JUJUY! -bailecito -
13
サンティア-ゴの郷愁 Nostalgias santiaguenas
Nostalgias santiaguenas -
14
忘却のチャカレーラ La olvidada
La olvidada -
15
サンバ・アレグレ Zamba alegre
Zamba alegre -
16
悩める者のチャカレーラ Chacarera del sufrido
Chacarera del sufrido -
17
遠くからの歌 Cancion del lejos
Cancion del lejos -
18
限りなき愛の歌 Amar amando
Amar amando
#2-CD
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01
道連れ(ラ・コンパニェーラ) La companera
La companera -
02
小鳩のなげき Lamento de la ulpilita
Lamento de la ulpilita -
03
ラ・アリベーニャ La arribena
La arribena -
04
ラ・パタジャ La pataya
La pataya -
05
忘却 Pensando en tu olvido
Pensando en tu olvido -
06
ベチョのバイオリン El violin de Becho
El violin de Becho -
07
サカー島 Isla Saca -polca paraguaya-
ISLA SACA -POLCA PARAGUAYA- -
08
キロメトロ・オンセ Kilometro 11
KILOMETRO 11 -
09
メルセディータス Merceditas
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10
ビジャヌエバ Villanueva
VILLANUEVA -
11
谷間の川 Valle‘I -polca-
VALLE'I -POLCA- -
12
キシエラ・セル Quisiera ser -guarania-
QUISIERA SER -GUARANIA- -
13
歌う雄鶏 Gallito cantor
GALLITO CANTOR -
14
ラ・グアンパーダ La guampada
LA GUAMPADA -
15
マルビータ Malvita -polca-
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16
わが麗しのコリエンテス Ah! mi Corrientes pora -polca-
AH! MI CORRIENTES PORA -POLCA- -
17
ペソア橋 Puente Pexoa -rasguido doble-
PUENTE PEXOA -RASGUIDO DOBLE- -
18
さかまく川 Rio rebelde -polca-
RIO REBELDE -POLCA-
解説:西村秀人
【ハーモニカの鬼才、ウーゴ・ディアス】
ハーモニカでタンゴやフォルクローレを専門に演奏するミュージシャン...一般的にはあまり想像しにくいかも知れないが、実はアルゼンチンには今も数名のプロ・ハーモニカ奏者が活動している。そしてその演奏家たちは皆このCDの主役ウーゴ・ディアスの圧倒的な影響を受けているのだ。
1927年、アルゼンチン・フォルクローレの里とも言われるサンティアゴ・デル・エステーロ州に生まれたウーゴ・ディアスは5歳の時に事故で両目の視力を失う。その後視力回復のため約1年間の入院生活に入るが、その間に両親からプレゼントされたのがハーモニカだった。その後、視力は一応回復、ウーゴは音楽への関心を高めていく。地元の名フォルクロリスタで作曲家としても著名なディアス兄弟(同じ名字だがウーゴとは関係ない)に学んだ後、プロ・ミュージシャンとしてのスタートをきる(初めはジャズバンドのベーシストだった)。1944年ダンスバンドのアトラクションとしてブエノスアイレスに上京、1950年から自己のバンド「ウーゴ・ディアスとそのチャンゴス」を結成し本格的にハーモニカ奏者として活動を始める。1952年からレコーディングも開始、アルゼンチン・ポピュラー音楽界唯一無二のハーモニカ奏者として広く知られるようになる。以降もヨーロッパ公演、レコーディング、テレビ出演などを続け、その個性をいかんなく発揮し続けた。
ウーゴ・ディアスの個性は楽器の異色性にだけ寄りかかったものではない。叩きつけるようにメロディを歌い、独自の粘りやグルーヴ感を表現、それは視力を失うかもしれない不安の中で獲得していったスタイルだったのかもしれない。1977年に惜しまれつつ世を去るまでかなりの数の録音を残してきたが、日本で彼に注目が集まったのは1972〜74年にトノディスク社に吹き込んだタンゴとフォルクローレのアルバム計5枚が日本ビクターから発売された時である。タンゴを演奏した3枚のアルバムはすでにVICP-60902-3「魂のタンゴ・ハーモニカ〜ブエノスアイレスのウーゴ・ディアス」としてCD2枚組にまとめられ、2000年に発売された。今回はかつて日本でもLPで発売されたフォルクローレの2枚のアルバムに、日本未発売のリトラル&パラグアイ音楽集を加えてCD2枚組にまとめたものである。
残念ながら原盤に共演者の明記はないが、当時のフォルクローレ界で活躍していた先進的なミュージシャンが特別に集められたことはその出来栄えからも容易に想像がつく。
一生過ごした時間のうち、しらふでいた時間よりアルコールの入っていた時間の方が長かったといわれるほどの大酒飲みだったウーゴだけに、晩年の健康状態は必ずしも良好ではなかったが、最後の力を振り絞るような気迫がこれらの録音に感じられる。異色の道をひたすら走り続けた鬼才の最後の名人芸にゆっくりと耳を傾けていただきたい。