今でも、その光景を忘れない。

恵比寿のルノアールに、そのhideらしき男はぽつんと座っていた。黒いサングラスをかけニット帽を深々と被っているにもかかわらず、ふわっとした穏やかなオーラに包まれている、不思議な存在感だった。

1993年2月の夜、音楽評論家の平山雄一氏のセッティングで僕はhideと待ち合わせていた。X-Japanとは別にソロ活動を始めようとしていた彼が、僕に逢いたがっていると聞いたからだ。彼は僕が書いた80年代前半のBOW WOW や布袋寅泰『GUITARHYTHMU』の歌詞のファンで、ソロで歌う時には絶対僕に詞を頼みたいと思っていたらしい。

hideは自分自身が大きな影響力を持つアーティストになった後も、常に“ファンの心”を失わなかった。自分が中高生の頃、夢中になってロックを聴いた時の興奮や感動をずっと大切にしていて、それを自分のファンに伝えたいと願っていた。彼のステージが、何が飛び出すかわからない巨大なビックリ箱だったのも、その気持ちの現れだったと思う。

そのhideは98年の5月に夭折した。

作品としてはデビューのダブル・シングルを作詞しただけだったが、プライベートでは親しい付き合いが続いていて、氷室京介の仕事で渡米した4月にも、L.A.のhide宅で飲んだばかりだった。彼とは、彼の才能とは、まだまだ一緒にやりたいことがあった。


hideが天国へ永遠のピクニックに旅立ってから、もう8年が経とうとしている。気持ちは若くても僕の髪にも白いモノが混じり始め、当時活躍していたバンドのほとんどが解散し、横須賀にあった彼のミュージアムも閉館したと聞いた。「どんな偉大な伝説もやがては風化してしまうのか?」と、娑婆の無常を今更ながらに嘆いてみた、冴え渡る月の夜。

数日後、ほんの少し姿を見せた“運命”というものの、その計算され尽くした物語の凄さに圧倒されることになるとは、誰が想像できただろう。


雑誌で対談したFLOWのヴォーカルKOHSHIが、突然こんな事を言い出すのだ。

「初めて雪之丞さんの詞を触れたのはhideさんの『EYES LOVE YOU』っす。あっ、そうそう、中学生の頃、俺と弟のTAKE(FLOWのギター)とで代々木体育館のhideさんのコンサートに行ったら、なぜかステージに上げられて、俺達ライヴ・ヴィデオにも映ってンすよ。」

「おい、マジかよKOHSHI! hideはオマエらみたいなイカしたガキをビックリさせたくて、ROCKをやってたんだよ!KOHSHI、ひょっとしてhideがバラ撒いてた“世界遺産のROCK菌”に感染してんじゃないの?!だったら“選ばれし者”だぞ。」

奇(く)しくもこのアルバムの企画は立ち上がっていて、hideの相棒だったマニピュレーターのINAとギターのKAZに『EYES LOVE YOU』の新しいトラックを作ってもらう事は決まっていたのだが、肝心のヴォーカルを誰にするか悩んでいる最中だった。

KISSやBOW WOW から“見えないバトン”を渡されたhideは、それを次の世代に渡そうとしてステージを飛び跳ねた。志半ばで力尽きたかと思っていたら、とんでもない。hide、安心しろ。おまえのバトンはちゃんとKOHSHIにもTAKEにも届いてたぞ!


『天使の遺言』の項で詳しく述べるが、早川義夫さんが歌っていなければ森雪之丞という作詞家は存在しなかったと、断言できる。中学生の僕は早川さんから“見えないバトン”を渡され、檻から解き放たれたように詞を書き、歌い始めたのだった。

多くのアーティストはきっと、そのバトンを渡されたことで生まれる。
あえてバトンに名前を付けるなら“衝撃”や“尊敬”や“夢”や“魂”などといった様々な言葉が浮かぶが、そのすべてがバトンの意味でもある。

『POISON』の項で出てきた“気高き種族の紋章”でもあるし、hideから受け継いだアーティストにとっては、まさに“命”そのものだと思う。