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【Vol.4】
 しかしまあ何ですな、気がつくともう二月ですか。前回更新したのは11月でしたからね、ここまで内容の変わらないホームページっていうのも最早カッチョいいですね。さすがビクターさんはひと味違いますね。
 さてさて、前回はヴィヴィッドさんから出した我々の1枚目の話をしました。ですので、今回は多摩川のフナの生態に関してお話ししましょう、と言うのも意表を突いて良いかも知れませんが、やはりいい大人ですからここは二枚目の作成にまつわる話をしましょう。
 二枚目の"Hepcats Jump Again"は、色々な意味でエポックメイキングな盤でして、ところでエポックメイキング、って良く使われるけどどういう意味なんでしょうね、ケータイの辞書を引いたら、「画期的」と出てきました。いや、それは言い過ぎだな、「何となく画期的」ぐらいにお考えください。まず、一つ目は、初めて日本語のオリジナルを何曲か入れた、ということですね。一枚目でも日本語で「おいこらお嬢ちゃん」というのを録音しましたが、これはキャブ・キャロウェイの曲の替え歌ですからね、本当のオリジナルはこの盤からです。何故、オリジナルを作ったかと言うと、色々なインタビューなどで神の啓示を受けて、みたいな出鱈目なことも言ってきましたが、実はスイスかどっかで開催される「モントルー・ジャズ・フェスティヴァル」のオーディション、というのがあってこれにバンドで応募しよう、と盛り上がり、どうせなら日本語でやった方がインパクトがあるだろう、という話になって「極楽パパ」をでっちあげた、というのが真実ですね。で、オーディションそのものは予選通過のヨの字も出ない、要するにカスりもしない、一瞬にしてジャズでないことがバレてしまった、というていたらくでしたが、意外に日本語で歌うのが気持ち良い、ということに思い至り、何曲か、どどど、と作ったんですね。そんな頃、余談ですが、当時アルトを吹いていた石田さん、という人は我々の他にももう一つのバンドでオーディションに参加、という二股がけをやっていまして、あろう事かそのバンドが優勝してモントルーに出てしまった、というとんでもない話もありました。石田さん元気ですかね。
 二つ目は、アルトのコーゾーがこの盤から歌手としてデビューを果たした、ということで私とデュエットで、"Go Go Go!" という曲を歌っています。長年やっていると演目も増えるものでして、今ではもし私がライブ中に痛風の発作を起こして楽屋にかつぎこまれたとしても、コーゾーだけで4曲はステージが持つんですから、これは企業に限らず、人材の有効活用が叫ばれるなかでは、消費者の皆様からも一定の評価をいただけているのではないかな、と自負しております
 三つ目には、この盤からライナーノーツを英語で書く、というのを始めましたね。何故、わざわざ英語にしたか、というと、これはひとえに向こうのブルースのリイシュー盤を真似したい、一から十まで、隅から端まで真似したい、という強い意志の表れ、だったんですね。当時はなにしろアナログLP時代でございますから、あらゆるジャケ写、あらゆる文章に何というか、こう滋味があるわけです。そのリイシューものの中でも特にジャンプ物を多く発売していたスウェーデンのルート66、というレーベルには本当にシビれていましたから、徹頭徹尾これを真似する、というのが、もう楽しくて楽しくてしょうがないわけですね。ジャケット写真は多摩美大のオールナイト学園祭の楽屋で撮影したんですが、まあこの頃は白シャツ以外にバンドの制服みたいなもの、確か巣鴨で一着980円だったと思いますが、それを着て撮影しましたね。え?どうして制服をやめたか、ですか? 岡地君が食肉関係の方にしか見えない、とか西川君がサックスのケースに入れっぱなしにしてたらカビた、とかいろんな理由もありましたが、決定打となったのは、ある日のコーゾーの、

「ねえ、何でステージ衣装が今、俺の着てる私服よりカッコ悪いわけ?おかしいよ!」

 という一言だった様に思います。でまあ、その服を着て撮影したんだけど、どうもリイシューの様には見えない。牧と一緒にどこがいけないのだろう、と論議した結果、判った、これは写真が新しすぎるのだ! という事に気づいて約一ヶ月ぐらい、牧のジャンパーのポケットに入れてたら良い具合にちぎれたりシワがついたりした、っていうのがありましたねえ。
 まあ、色々と思い出しますが、このLP、我々にとっては「レコーディング」というよりは限りなく「ロケ」に近い様な状態でした。ヴィヴィッドさんにも立派なスタジオはあるのですが、いかんせんピアノが無い。そこで都内のリハスタやらライブハウスを借りて、8トラックのテレコと卓を持ち込んで録音する、しかもまあ予算削減もあって、セッティングから録音まで、私が自分でやるのですが、最初の録音の日に、セッティングしたら音が出ない、どうしたのだろう、と考えるとヴィヴィッドさんから持ってきたケーブルの接続が機材と合致していない、という事に気づいて、スタジオでハンダごてを借りて8本のケーブルすべてハンダづけし直した、というのも思い出ですね。なにしろやりたいやりたいどんどんやりたい、とまるで春先の男子高校生みたいなもんですから、まあ今ではとてもあんな苦労はしないわけですよ。
2006.11.17 UP
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