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BUCK-TICK 2022-23 | DEBUT 35TH ANNIVERSARY YEARBUCK-TICK 2022-23 DEBUT 35TH ANNIVERSARY YEAR Special Site

BUCK-TICK 2022-23
DEBUT 35TH ANNIVERSARY YEAR

HISTORY

2007-2011

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提供:(株)ソニー・ミュージックレーベルズ

メジャーデビュー20周年を迎える2007年は、BUCK-TICKにとって大きなチャレンジの年だった。デビュー20周年記念イベント「BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE」の開催を発表したのは4月。2005年に結成20周年を記念してリリースされたトリビュートアルバム『PARADE~RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK~』に参加したアーティストをブッキングした、2マンツアー「TOUR PARADE」が6月からスタートする2カ月前のことだった。“野外”のイメージが薄いBUCK-TICKが、自ら主催して他アーティストと野外フェスを開くという初の試みは、多くのファンに驚きと興奮を与え、来るべきアニバーサリーに向けて祝祭ムードは高まっていった。

2006年の晩秋から始まっていた新作のレコーディングは、2007年が明けると早々に再開した。ゴシックに振り切った前作『十三階は月光』(2005年)より約2年ぶりとなるオリジナルアルバムの制作は、“ストレートなバンドサウンド”というキーワードの元に進められた。打ち込みやノイズ音などデジタルな要素を排除したシンプルなサウンド作りを目指すメンバーを横目に、櫻井敦司は「迷いの時期に入っていた」と語っていた。“ストレート”ということは、言葉の響きに反して難しいことだと実感していたそうだ。模索する中で行き着いたのは、“夢物語的なものではなく、人間のリアルな部分を描こう”ということ。

新作の中から先行シングルとして選ばれたのは、初期BUCK-TICKを彷彿とさせるポップロックナンバー「RENDEZVOUS~ランデヴー~」だった。すべての愛する者へ、出会えた喜びと感謝をストレートに伝えるこのシングルは、C/Wに「MY EYES & YOUR EYES」(1987年アルバム『SEXUAL×××××!』収録)のセルフカバーを収録。デビュー20周年を迎える2007年の第一弾アイテムとして相応しい作品に仕上がった。

いよいよ2007年の表立った活動がスタートする前に、ソロ活動のトピックが一つ。2004年にメンバーそれぞれがソロ活動を活発に行なっていた中、一人沈黙を通していた星野英彦が、英国人シンガーのKELLI ALI(元SNEAKER PIMPS)と、マニピュレーターのCUBE JUICEとのユニット、dropzを結成。4月にアルバム『SWEET OBLIVION』をリリースした。

シングル「RENDEZVOUS~ランデヴー~」のリリース日と同日の6月6日から、2マンツアー「TOUR PARADE」がスタート。制作中の楽曲の中から、「モンタージュ」と「スパイダー」の2曲をメニューに組み込んだ。RUNAWAY BOYS(kyo and nackie)との横浜BLITZ公演を皮切りに、J /Zepp Sendai、遠藤ミチロウ/Zepp Fukuoka、BALZAC/Zepp Osaka、清春/Zepp Nagoya、土屋昌巳・abingdon boys school/Zepp Tokyoとしのぎを削り、7月15日にAGE of PUNKとの沖縄公演でファイナルを迎える予定だったが、台風の影響で機材を乗せたフェリーが入港不能となり、2008年1月に延期されることになった。

8月8日にリリースしたシングル「Alice in Wonder Underground」は、デビュー以来初めてタイトル曲の作詞を今井寿が手掛けた。イントロは2005年にリリースしたシングル「ROMANCE」収録の「DIABOLO」と同じティンパニーのリズムが印象的で、曲中で今井が歌うパートにも「DIABOLO」と同じフレーズが出てくるという、遊び心満載のナンバー。8月17日に初出演した「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO」で初披露した。

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そして9月8日、神奈川・横浜みなとみらい 新港埠頭特設野外ステージにて、デビュー20周年記念イベント「BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE」が開催されたのだが、前日は大型台風が関東を直撃。悪天候の中、夜通し会場の設営を進めるスタッフの様子を、櫻井はホテルの窓から見守り続けたという。皆の念願が叶い、当日の空は快晴。参加アーティストは清春、J、BALZAC、土屋昌巳、ATTACK HAUS、KEN ISHII、遠藤ミチロウ(M.J.Q.)、THEATRE BROOK、MCU、RUNAWAY BOYS(kyo and nackie)、AGE of PUNK、rally、abingdon boys school。ジャンルも世代も違う実力派アーティストたちが肩を並べた。トップバッターの清春のステージに櫻井が登場し、二人で「JUST ONE MORE KISS」を披露したり、AGE of PUNKのステージに今井が登場し「PHYSICAL NEUROSE」を、さらには遠藤ミチロウ(M.J.Q.)のステージで今井がスターリンの代表曲「ワルシャワの幻想」を共演。スターリンのコピーバンドから始まったBUCK-TICKにおいて、今井と遠藤ミチロウとの共演は、実に感慨深いシーンだった。参加アーティストが熱演を繰り広げた後、最後に登場したBUCK-TICKは、「RENDEZVOUS~ランデヴー~」や「Alice in Wonder Underground」を組み込んだ最新型のメニューで魅了した。ラストナンバー「JUPITER」を演奏後、夜空に大きな花火が打ち上げられ、デビュー20周年を飾るステージは盛大に幕を閉じた。

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その余韻冷めやらぬ中、アルバム『天使のリボルバー』が9月19日にリリースされた。アルバムは前述した通り、ストレートなバンドサウンドで、歌を中心にアレンジしたシンプルでポップなもの。歌詞も、生々しさが感じ取れるようなリアルな言葉が並んだ。アルバムタイトルの『天使のリボルバー』は、非現実的な存在の“天使”と、現実的な物の象徴として人を殺める道具でもある“リボルバー”の相反するものを組み合わせ、ファンタジーとリアルとの境界にあるアルバムを言い表した。その後、9月22日から12月29日の日本武道館公演まで全34公演(追加公演を含む)の「TOUR 2007 天使のリボルバー」を開催。前作『十三階は月光』でのコンセプチュアルなステージとは打って変わり、ストレートに5人の歌と演奏を観せるシンプルなステージで、改めてロックバンドとしての求心力と圧倒的存在感を見せつけた。

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提供:(株)ソニー・ミュージックレーベルズ

2008年は、延期になっていた「TOUR PARADE」の沖縄公演を1月に行なって以降、メンバーは精力的に活動した2007年の疲れを癒すための休養と、次の展開に向けての地下活動期間に入った。その間に、DVD「BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE」やDVD「TOUR 2007 天使のリボルバー」といった熱狂の2007年を振り返るアイテムをリリース。9月にはBUCK-TICKと親交の深いLÄ-PPISCHのキーボーディストであり、脱退後はソロワークやサウンド・プロデューサーとして活躍していた故・上田現のトリビュートアルバム『Sirius~Tribute to UEDA GEN~』に参加。LÄ-PPISCH の「ハーメルン」をカバーした。そして11月29日からスタートしたFC限定ライブ「FISH TANKer's ONLY 2008」では、一足先に「HEAVEN」(12月17日リリース)を披露。その後、京都、浜松、日本武道館でライブツアー「THE DAY IN QUESTION 2008」を開催した。

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提供:(株)ソニー・ミュージックレーベルズ

2009年早々のリリースを目指した2008年の楽曲制作から、BUCK-TICKをメジャーに導いたディレクターの田中淳一氏がビクターを退社し、フリーランスの形でまたBUCK-TICKの作品に携わるようになった。強力な理解者と再びタッグを組むことで、制作も波に乗った。2009年1月14日にシングル「GALAXY」を、2月18日にアルバム『memento mori』をリリース。『天使のリボルバー』同様、バンドサウンドをベースにしながら、今作では縛りをかけず、デジタルな音も取り込んでいった。これまでは録音した素の音に後からエフェクトをかけていく手法だったが、「今作ではレコーディングの段階から決め打ちでエフェクトをかけることもあった」と当時のインタビューでヤガミが答えていた。「Coyote」では樋口が初めてアップライトベースを使用するという新しい試みもあった。4曲ほど曲があがった頃、『memento mori』という言葉が今井から出てきたことで、歌詞を書く櫻井も、生と死という両極にあるものを今歌うべき歌詞のテーマとして取り上げることにした。「これまでは死の方に意識が向かっていたが、今作では生の方が強調されていると思う」と当時語っている。琉球音階を取り入れたタイトル曲「Memento mori」は、「人はいずれ平等に死ぬのだから、今はそんなことを考えないで飲んで食って生きてみよう」という今井の前向きなメッセージが込められている。

先行シングルとしてリリースした「HEAVEN」と「GALAXY」は、2曲連続チャートトップ10入りを果たした。これは14年ぶりの快挙だった。

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提供:(株)ソニー・ミュージックレーベルズ

4月からスタートした「TOUR 2009 memento mori」では、1曲目の「真っ赤な夜」の演奏が進む中、オープニング映像を映していた大きな白いバルーンの中から櫻井が現れるというインパクトのある登場シーンで、観客の度肝を抜いた。炎の演出や夕日を感じさせるライティングなど、有機的なイメージをステージ演出に取り入れ、今井のヘアメイクや衣装も“トライバル”を意識したものになっていた。さらに今井はツアーの途中から、『COSMOS』ツアーの時に作った一角獣の被り物を装着するシーンも。櫻井は舞台の中の人格の一部を表現するためにと、ツアー途中から髭を伸ばし始めた。「Memento mori」の間奏では、この年5月に逝去された忌野清志郎への追悼を込めて、RCサクセションの「スローバラード」のフレーズを今井が爪弾くシーンもあった。

その後は年末までライブ三昧。4月25日は「ARABAKI ROCK FEST.09」に初参加、9月・10月にはFC限定ライブ「FISH TANKer's ONLY 2009」とスタンディングツアー「TOUR memento mori -REBIRTH-」を開催。9月20日は滋賀県で西川貴教が主催する「イナズマロックフェス 2009」に出演。12月23日にDVD&Blu-ray「memento mori 090702」リリースした後、12月29日に日本武道館で「THE DAY IN QUESTION 2009」を開催した。

2010年は、想定外のサプライズからスタートした。
3月20日に開催されたabingdon boys schoolの幕張メッセイベントホール公演に櫻井が飛び入り参加し、「ドレス」を西川とのツインヴォーカルで披露。思いがけないサプライズに会場が沸いた。その4日後の3月24日に、今井作詞作曲によるシングル「独壇場Beauty」をリリース。アッパーなダンスロックチューンを作りたいというこの曲の構想は、『memento mori』ツアーの最中に生まれていた。歌詞については、『memento mori』から繋がる、「人が生まれて自由に生きて死ぬことに対するレクイエムみたいな気持ちから書いた」と語っていた。

引き続き制作を続行していたメンバーは、4月下旬からレコーディングを開始。8月28日大阪で開催されたイベント「GREENS 20th Anniversary Live ~Thanks to all!!~ 『SPECIAL』」に出演した後、9月1日にシングル「くちづけ」をリリースした。この曲はアニメノイタミナ「屍鬼」(フジテレビ系)の前期オープニングテーマとして書き下ろしたもの。メンバーは事前に漫画版を読んだうえで、その世界観を楽曲に踏襲した。そして10月13日にアルバム『RAZZLE DAZZLE』をリリース。サウンドはディスコを意識したダンサブルなもので、ライブで単純に楽しめるノリのいいものを目指したのだが、初回生産限定盤特典DVDのインタビューで今井は、前作『memento mori』がそれまでの集大成となる作品となったことで、ここからまた新しいものを作らなくてはならないという、生みの苦しみがあったと語っている。『RAZZLE DAZZLE』は映画『シカゴ』に出てくる言葉で、“非日常的”“幻惑”といったファンタジックで快楽的なイメージをもつ。アルバムジャケットは今井の希望により、イラストレーター・グラフィックデザイナーの宇野亞喜良氏に依頼し、描き下ろしてもらった。

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提供:(株)ソニー・ミュージックレーベルズ

10月15日からスタートした「TOUR 2010 go on the “RAZZLE DAZZLE”」では、今作のレコーディングで「楽曲のキャラクターになり切ることができた」と語っていた櫻井の、アグレッシブなパフォーマンスが目を引いた。『RAZZLE DAZZLE』のめくるめく魅惑的な世界が表現される中、「VICTIMS OF LOVE」(1988年『SEVENTH HEAVEN』収録)を、バイオリン奏法を使ったギターの音色とアップライトベースをフィーチャーしてアレンジした「VICTIMS OF LOVE 2010」として披露したこともハイライトの一つだった。

ツアーの合間には、メンバーが参加した他アーティストの作品も続々とリリースされた。今井は10月27日発売のacid androidのミニアルバム『code』収録の「balancing doll:1.02」にギターで参加し、11月10日発売のDer Zibetのアルバム『懐古的未来~NOSTALGIC FUTURE』収録の「マスカレード」に櫻井が参加。12月1日発売の『ロマンチスト~THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album~』では、「おまえの犬になる」をBUCK-TICKでカバーした。

2010年を「COUNTDOWN JAPAN 10/11」への初出演と、12月29日の日本武道館での「TOUR 2010 go on the “RAZZLE DAZZLE”」追加公演で締めくくったBUCK-TICKは、2011年1月からFC限定ライブ「FISH TANKer's ONLY 2011」と、4月まで続くライブハウスツアー「TOUR2011 “うたかたのRAZZLE DAZZLE”」をスタートさせた。ツアー中の2月には、新木場STUDIO COASTでモバイルサイト会員「LOVE & MEDIA PORTABLE」会員限定ライブを初開催、さらに音楽と人200号記念「MUSIC and PEOPLE VOL.8」にPOLYSICS、毛皮のマリーズと出演。年明けから精力的にライブ活動を展開していく予定だった。

2011年3月11日、東日本大震災発生。エンターテインメントに何ができるのかと、日本中のアーティストが立ち止まり模索する中で、BUCK-TICKも3月14日以降のすべての公演を見合わせることを決定。同時に、オフィシャルモバイルサイト「LOVE & MEDIA PORTABLE」で、被災地への緊急募金活動をスタートさせた。世界が少しずつ前に向かって進み始めた頃、ツアーの振替公演を11月から12月にかけて開催することを発表した彼らは、2012年に迎えるメジャーデビュー25周年を前に、所属事務所の有限会社バンカーと徳間ジャパンコミュニケーションズとの合同プロジェクトとして、新レーベル「Lingua Sounda(リンガ・サウンダ)」を設立した。このレーベル名は“世界共通音”という意味の造語で、新レーベルの立ち上げに伴い、櫻井は公式で「今まで支えてくれた多くのFANのみなさんに感謝します。音楽があってBUCK-TICKがある。これからも死ぬまで、いや死んでもBUCK-TICKの音楽は生き続けるでしょう。どうかよろしく。ありがとう」とコメント。新たな環境でのさらなる飛躍を期待させた。

11月から12月にわたり、延期していた「TOUR2011 “うたかたのRAZZLE DAZZLE”」の振替公演を開催。また、仙台・福岡・広島と日本武道館の4カ所で行なった年末の「THE DAY IN QUESTION 2011」は、デビュー25周年を迎える2012年に向けた前哨戦のようなステージだった。歴代のアルバムジャケットやライヴ映像をコラージュしたオープニング映像に始まり、1曲目の「HURRY UP MODE」以下、全オリジナルアルバムから1曲ずつ発表順に演奏。日本武道館公演の模様は、BUCK-TICK史上初のネットでのライブ生中継として「ニコニコ生放送」から配信された。この年から始まったBUCK-TICKの義援金寄付の活動は、2022年まで長きにわたり続いた。

終演後のスクリーンでは、すでにリリースが発表されていたSPECIAL BOX『CATALOGUE VICTOR→MERCURY 87-99』『CATALOGUE ARIOLA 00-10』(2012年3月7日発売)を皮切りに、新レーベル「Lingua Sounda」から春にニュー・シングルとライヴDVD&Blu-ray、夏にトリビュート・アルバムとニュー・アルバムをリリース。さらに6月に日比谷野外大音楽堂で2daysライヴ、夏にスタンディングツアー、秋にホールツアーを、そして12月29日に日本武道館公演を開催することを一挙に発表した。打ち上げ花火のように次々と繰り出される嬉しいニュースに、会場からは歓喜の声が上がった。2012年アニバーサリーイヤーに向けて期待が最高潮に高まった瞬間だった。

Text:大窪由香

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